101010トトトRADIO

誰かの10年を聴く101010 RADIO。さまざまな職業の方々の10年間で起きた3つのことを紐解いて、その人を深掘りしていく番組です。どのようなストーリーが紡がれているのでしょうか?ぜひ聴いてみてください。作業の合間にも。listen 10 me

食堂を始めたこと、スタッフと働くようになったこと、お引っ越しと、

読んで楽しみたい方はこちらをどうぞ↓

誰かの10年を聞く101010RADIO。聞き手の田中です。今回のゲストは、シチニア食堂のしげさん、ちかさんです。よろしくお願いいたします。

お願いしますー。

(田中のオープニングのどなりを聞いて)そんな感じなんですね。
もっと、なんか「田中の〜」ではじまるのかと。

トトトラジオー!(的なテンションで)

そんな感じじゃないですよ、田中は。
急にここだけンション上げるのも嫌じゃないですか。
オープニングテンションを上げて、で、この後、急に元のテンションになるっていう。

まず、何をしてる人なのかを教えてください!

私、シチニア食堂のシゲと申しまして、シチニア食堂のお料理を担当しております。

ちかです。お料理はあまりしなくて、お店の空間のこととか、 広報とかっていうことを担当してます。

ただなるぬ緊張感が

そうすか??笑

お店が宝塚の清荒神にある。
今のお店の前にやっていたところも含めて10年。
*以前は参道の少し外れたところにお店がありました。

10年ですね。この春で10年経ちました。

11年目。私たちと(かたちラボ)一緒です。

あめでとうございます

ありがとうございます

ここでのやり取り。こっち2人で褒めたたえた感じになってますけど笑

ということで。
誕生して10年っていうのもあるんですけど、このラジオが誰かの10年を聞くというところで、10年間に起きた3つのこと。食堂を始めたこと、スタッフと働くようになったこと、最後にお引っ越しと

食堂を始めたこと、

まずは食堂を始めたこと。
そもそも2人がなぜシチニア食堂を始めたのかといったところを色々お伺いできれば。

そうですね、
そもそも僕はずっと料理をやっていて、 チカちゃんは雑貨とか、インテリア関係の仕事をしていて、どちらもサラリーマンとしてやっていたんです。

あ、そうなんですね

結婚してから宝塚に引っ越してきたんですよ。それまでは2人で芦屋に住んでたんですけど。

芦屋に住んでたんですねー。

芦屋の時って(芦屋に住んでた時)仕事から帰ってきても、夜ちょっとご飯食べに行ったりとか、ちょっと飲みに行ったりとか、休みの日に朝起きてパン買いに行ったりとか、そういうことがなんか普通に日常でできてた町やったんですけど、宝塚に来てからなんもないんですよね。仕事終わりで買い物して帰るにもどこも閉まってる。
ご飯食べて帰るにも、チェーン店のファミレスとかしか空いてない。それでなんかもうすごい不便を感じてしまったのが、 まずきっかけやったかもしれんね。
自分たちが住む町に自分たちが行きたいなと思うお店がなかったっていう。はい、それがきっかけです。

自分たちのためというか、自分たちが行けるようなお店

こんなんあったら嬉しいよなって思う店を作りたいなってこう、漠然と感じ始めたかな

僕はずっと飲食で仕事をしていて、料理をずっと作っていてきびしいシェフのもとで働いてたけど、個人でお店を開くリスクっていうのをずっと見てきたからちっともお店を開くことなんか考えてなくて。
でも東北の大震災でみんなインパクトを受けたみたいに自分達のこれからを見直すきっかけになってて、自分達の足で歩くというか、これからの人生いつなにが起きるかわからないから自分らでやってみない?って。
それがまあきっかけなんですけど。でも、その当時はもう本当に全然自信がなくて、 嫌だって言ってたよね。

何回も断られたんです。私はもうやる気満々って感じで。もうこの先サラリーマンとしてやってても なんか発展がないなっていうのと、いつこんな保証とかもなくなっちゃうかわからへん世の中やなっていうのも思ってたから、自分たちでしっかりこう歩んでいけるものを作りたいって思ってたんですよ。
シゲのお料理が食べれるお店しかないって思ってたんで、何度も誘ったんですけど。
絶対やだ。って言われて

いや、もう怖くてしょうがなかった。
だって毎月入ってくる安定したお金が、お店を始めたら、何にもなくなんねんでっていう。

シンプルに。

だから、いつでも引き返せるような形で、始めよっかっていうとこで

考え方の相違みたいなのあって、しげさんって飲食畑の人やから独立するってなったら梅田とか人が来るところに、おっきなお店を構えるみたいなイメージしてたと思うんですけど、
私は清荒神で、 人があんまり歩かないような隠れ家のようなお店をやりたいって思ってたから。それもまたありえへんって言われて、

そりゃそうですよね。

いや、だって、その時考えてる時にはもうすでに清荒神に住んでいて、

ちなみにこの清荒神を選んだ
住む場所として選んだ理由というはなんですか。

それは、私の両親吹田出身でシゲさんも吹田出身なんですけど、私の両親が先にこっちに移住してたんです。
結婚する時に宝塚にしゃあなし来たみたいな感じです。来たくて来たわけじゃないっていうか。

読めなかったもんね清荒神って

このラジオ聞いてる人は、もしかしたらわかんないですけど、清くて荒ぶる神って書いて、どっちどっちって
モチベーションどっちみたいなね。
台所の神様?

そうです。

今シニア食堂さんがあるのは、その駅前から続く参道の重複。ど真ん中にある

そうですね。ここに移転してきて、1年っていう感じなんですけど、最初はもっと住宅街のちょっと外れたところにお店を構えました。

今でこそ賑わっていて、あれなんですけど、コーヒースタンドがあったり、器屋さんがあったりとか、カルチャーが育ってきてるじゃないですか。

カルチャーが流行ってますね、最近カルチャーという言葉がね笑

それ3人の中だけでしょ笑
10年前なんてカルチャーっていうか、お店すらもなかった。

誰も知り合いがいませんでした

しかも、どんどん逆にお店が潰れていってるような感じの時ですね。10年前っていったら。

ちょうどこう衰退してる真っ最中みたいでした。

そこに入っていくわけですね

だから、参道歩くって言っても、生き残ってるお店を探すみたいな。そういう感覚で歩いてたかもしれない

空いてる店がないから探す。まず、探すっていう
前のお店の住宅地の中にぽつんとあるような古民家。これはどういうきっかけで、あそこにしようって

旧シチニアがあった場所。今はAHSOというイベントギャラリーになっている。

あれはね、僕ら30ぐらいの時に結婚して、ちかちゃんのお母さん、お父さんがこっち来てたから、宝塚の駅前に家を構えたんですよ。

一個向こうの駅にね。

で、そこからチカちゃんの実家に行く道がちょうどその旧シチニアの前の道を通って行くっていう

いいですね。

でも、その当時は草もボウボウに生えてるし、僕はもう廃屋ぐらいにしか見てなくて。

誰も住んでない、草がちょうど平屋の家の背丈ぐらいまであるような。忘れられた感じやったよね、

それを、チカちゃんはちゃんと見ていて、きっとあの物件を自分らでいじったら変わるんじゃないかって言って、

めっちゃいい感じってずっと思っててシゲにちょっとこれ裏まで行ってくれへんみたいなとか、車で裏見に行ったりとかしてたんですよ。でも裏見てもシゲさんはさらにないわつって

いやーなかったな、

なかったんですね

だから僕はずっといよいよ本当に店をしなきゃならないってなった時に、参道でどこかできないか、空き店舗を使ってっていうのを考えてたんすけど、なかなか家賃が高くて、今の資金じゃ無理だなってなって、で、チカちゃんが言うその平屋の物件に折れたという感じ。ここだったら安いから

折り合いがつくんすね。やっと

失敗してもすぐ引き返せるなって。
失敗のことばっかり僕考えてた。

いいバランスですよね。2人が同じようにアクセル踏んでしまうと、多分うまくいかないと思う。

そうかも

お互いがね。ブレーキを踏むときは踏むし、違うアクセルを踏むときは踏むしっていう感じですね。前のお店はまあしゃあなしというか、1番いい。自分たちの折り合いをつけたところとして。

シゲさんはね、
私はもう絶対いいと思ってたんで、

そこはね、すごいよね

この日に開こうとかってあったんですか。

10年前の4月20日にオープンしたんですけど、それが、えっと、なんやったっけ。

穀雨の日

穀雨の日。あの、なんやった?
二十四節気の一つの穀雨の日っていう暦にあたる日だったんですけど

たくさん雨が降って田んぼの稲を植えるような準備。たくさん雨が降ったら、田んぼに水が入って稲がよく育つっていうね。豊作とか、そういううまくいくみたいな。すごくいい日なんで、 たまたま工事をずっとやっていたら4月ぐらいにオープンできそうってことで、どっかいい日ないかなってことで、穀雨いいわーって思って。
たくさん雨が降って地が固まるみたいなそんな日にしたんですけどオープン当日雨降ったらいいなと思って、

雨降ったらいいなと思ったんですね笑

雨が降ってほしくて、4月の20日に雨が降ったら絶対成功するって2人で言ってたら、大雨!!

びっくりする大雨でした。

誰もお客さん歩かれへんぐらいの雨やって

夕立クラスの雨やね。

何かを占うかのように。

やりすぎやっていうぐらいの雨やった、

すごい油断したよね、初日のくせに

オープンする1時間ぐらい前からざーって降り出して、これはちょっとオープンの日やけど、お客さん来ねえなって

仕込みををやめたよね。仕込みの手を止めて。。

仕込まなかったんですね。初日なのに、

無仕込みでもう無仕込み
無仕込み製法。

それ、初日じゃないんじゃないですかね。仕込んでなければ

雨が緩んだ途端に近所の人がうわって来てくれて、すっごい待たせたっていうね、
無仕込みなんで。

なんかあんまり最初に殺到しても、きっと手に負えなくなるやろうし、あんまりオープンの告知とかもしてなかったんですよ。ひっそりいつの間にかオープンしてるっていう感じのお店にしたかったんですけど、 近所の方はずっと見てくださってて、一気に満席になっちゃって、びっくりしました。

何も仕込んでないのに

やめてほしいって思ったな

嬉しかったけど、苦しかったな

来ないでほしいっておもいましたね

場繋がらなきゃいけないですよね。長めの落語とか、

タップダンスとか

ありと、あらゆるパフォーマンスをね

もう見せるだけ見せて

そんなことあれですけど、そのメニューもね、なんか欲張ってパスタ2種とかやったかな。
リゾットみたいなもして、

あれそんなんあったっけな

3つ通ったら3つ火がいるのに、2つしかなかって

火口がね

2つしかない。1種類ずつみたいな感じで頼むでしょ、メニューって。
それを考えてなくて

わかんないですね。やってみないとね、

でもやってきてたんですよ、ずっと笑
全部忘れて、そんなこと。

吹っ飛んだんですね。

吹っ飛んだんです。吹っ飛んでね、すぐメニュー変えましたよ。

大事。試行錯誤

オープンの日は今でも忘れられない、地獄の日。

いや、嬉しい日のはずなのに

まあ、すごい忙しかったんでしょうね、当時、

いや、もう信じられへんかったですね。

念願の食堂始めてきて
次の大きな出来事としては、スタッフと働くようになったこと。
今までスタッフの方とっていうよりか、もう2人だけでやってた?

スタッフと働くようになったこと、

そうですね。ずっと2人で

小さいお店だったので、2人でできることをずっとコツコツやりたいっていう思いで。5年ぐらい頑張って2人でやり続けてたんです。

あるきっかけでね。スタッフさんと一緒に働くことになっちゃうというか、なったんですけど、きっかけがありましたね。

そうですね

ちょっと待って待って、なんで急にマイクに近づけたの、なかなか教えてくれない。
すごいきっかけになるけど大丈夫ですか。

いやいや、そんなそんなことないんですけど、シチニア食堂の姉妹店ができたんです。キキルアックっていう阪急の清荒神の駅前、すぐ目の前に小さなカフェをオープンさせたんですけど。それがきっかけになりました。

kikiluak

すごいですよね、

色々エピソードがあるんですけど笑

言えるやつで言うと

僕は町の小さな食堂でおじいちゃんおばあちゃんになっても2人でやってるそんな食堂になれたら、最高だなって。地元の人に愛されてっていう。
だから、もう1個お店を持つなんて考えたこともなくて、でもそんな5年目のある日に、清荒神の駅前にね。ベガホールっていうコンサートホールがあるんですけど、 そこに併設されているカフェをやっていた人が、

<a href=httpstakarazuka cjpvegahallabouthtml target= blank rel=noopener title=>ベガホール<a>

閉めちゃうっていう

ベガホールの方々が代わりに次やってくれる人いませんかっていうことを、清荒神の参道商店会の方に、1番近い商店街なんで、誰かいませんかっていうのを投げ張ったんですよ。僕はその当時参道にお店はなかったけど、商店会には

会員としてね。入ってたんやね。

その情報だけは聞いてたんですけど、へえぐらいにしか思ってなくて、でも結構やりたい人いてて、商店会の

何社かやりたいですって

駅前のいいとこですもんね

やっぱりみんなそう思って、ちょっと儲かるかもみたいな。。

あそこ儲かんでみたいな。

手上げてるのが

3社ぐらいあったんちゃう

お金の匂いで手を上げている感じがすごくわかってしまって。その頃から潰れては、駐車場になったり、マンションが建ったりする清荒神をね、すごく心配してたから。駅前の喫茶店は、やっぱり、なんかこう文化をね、

カルチャーをね

カルチャー、

すごいドヤ顔してましたよ。

カルチャーをこう発信したい。誰がやるにしても、そういう感じで してほしいなって思ったんですよ。

なるほど、

そのお金だけのためにあのやってほしくないって。なんか、その思いが日に日に高まっちゃって、2人でチカちゃんにもね、色々相談したら、ちょっとそのことを言いに行こうって。

だから、一応そのま立候補の中の1社に入って、プレゼンしに行きたいっていう、もう誰にも頼まれてない、この正義感が急に脇立ってきてね。2人で 。
清荒神の玄関口じゃないですか。図書館もあって、おっきなベガホールもあって、そんなところに もうけたんねんみたいなお店が入んのは、どうしても嫌やったんですよ。だから、そのカルチャーをね、育んでいくためのお店であるべきっていうのを言いたくて、 うちらも立候補の1社に入ったんですよ。
で、プレゼンしに行きました。

ちかちゃんがんばった。

とにかく、あそこをやっぱ抑えるじゃないですけど、もう清荒神の印象になっちゃうので

そう本当にね、なんかね、本当今思ったらどんな血迷い方やねんって感じなんですけど

あの当時2店舗目とかなるとまたその開業資金みたいのいるでしょ。
僕らあん時もう火の車やったもんなあ。

そうそう。全然2店舗目とかも考えてなかったし、まさか私らがやるっていうことではなくて、選ぶ側としてこういうことを念頭に置いてお店選んでくださいっていう思いで行ったんですよ。

自分たちがじゃなくて、こういうお店にしてほしいんで、あそこに入るお店は、こういう条件っていうか、こういう思いでやってくださいよ。

それをどうしても言いたくて、言いに行ったんです。まさかこんな弱小のお店が選ばれるとも思わへんし、ちゃんとした企業というかね。

前はだってね、ワシントンホテルさんが運営してたんですよ。

だからおっきな会社とやり取りしはる店舗やと思ってたから、ただただ言いに行くっていうそれだけで

その思いが動かした。

そうなんですよ。あそこベガホールさんが運営してるんですけど、ベガホールさんの職員さんに1人すごいいい方がいらっしゃって、素晴らしい!とこんな思い持った人にぜひやってほしいってその方に

思いますよね。

思うかな?
こんなどこの馬の骨かわからへん。

まあ、事業性はちゃんとしてほしいっていうのはあるんでしょうけど、ただべガホールとしては簡単に潰れてほしくないし、そこが集客してくれるんであれば、ホール自体絶対いいと思う。
絶対町の名物店とかになってほしいですもんね。その思いが届いたという

そうなんです。だから、私らがやるんやったらこういうメニューにしたいし、(具体的に)そういうところまでも全部提案しに行ったんですよ。
そしたら、後日ね、シチニアの電話がなりまして、
『ぜひやってほしい』って

合格通知

嘘でしょってなりました笑

え、あれってオーディションだったのみたいな。

えーってなって、どうしよう、ってなって。

作るつもりなかったんですよね。

そうそう。経済状況みたいのも全部見られたんですよ。確定申告とかも全部見せさせられたし。
(相手さんに)なんかもうこれはどういうふうに運営されてるんですか?
みたいな、ほんまそんな感じやったんですよ、まさか決まると思わないじゃないですか。
それでもっていう感じで言ってくださって、

お金の面に関しては、結構何回も釘刺されたよね。
なんか一応開業資金、預金が150万ぐらいあるみたいな。

全然ないのに

これ1つ付け加えると、この5年間ちゃんとやってるってことで、いいんです。

まあ、そうですね、5年間シチニア食堂としてあることは認知はされてたんですけど

嘘ついて、ほんまにありますか?
この経営状態とかであるんですか。って

改装とかせなあかんけど、その改装費どっから出てくるんですか。とかめっちゃ言われて、それはもう自分たちで壁塗ったりとか言っても、なんかふわっとしたことしか言われへん。

古民家だったらいいんですけど、ベガホールさんとこで、それすごいっすね

そうなんです、

でも信じてくれたんですね、担当の方が

ですね、なんかかけてくれたんでしょうね、

多分ないなって。きっとないだろうなって。あの人の澄んだ目は、ない目してるなって。ないけど、信じてみようかな。

その1人の職員さんだけが私たちのすごい味方というか、ファンになってくださってて、 他の方はみんな反対したって言ってた。絶対ないよって

プレゼンドの日もちょっと遅刻したり。大事な日過ぎて、

イベント出店の帰ってきた、その日みたいな感じやって、まだできてないみたいな

ええ、そっから作る笑
あ、一応でも作ったっんですね

そうです。資料を作って

なんかね印刷できてないから、シゲ印刷行ってこいって言って、

コンビニ行って、コンビニから帰ってけえへん

紙が切れたりして、あと5分しかないのにとか言って

そう、そんな状態でした。

そのプレゼン資料でも見てみたいですね。どういう内容がそこに書かれてたんだろうと、

なんかあんまり記憶ないです。メニュー提案とかまでしたのは覚えてるけど、あんまり覚えてない、消したい、

プレゼン会場の雰囲気は覚えてるよね。もうむちゃくちゃっ怒ってはったよ、みんな。遅刻したから。

なんかすいません、遅れました。みたいな感じで行ったら、もうおっちゃんらいっぱい並んでて。5、6人おったかな。もう圧迫面接みたい

まあまあね、それはちゃんとした面接というか審査みたいなものですもんね。

そうそう。そこで初めてこれちゃんとしたやつやったんやって気づいた

で。ちなみにそん時はどういう服装で行かれたの

え、もうだって、しかも出張帰りやから、全然そんな普通の

てろってろのTシャツ。

そりゃおじさんたち怒りますよ。やべえやつ来た。

ほんまそうですよ。やべえやつ来たっていう

でもその思いが無事届いて、開店してから。

そう、オープンすることになるんです。そこまで本当何も考えてなかったから。いや、2店舗目ってなると、お店に立ってくれる人がいるよねってなって、 そこからスタッフの募集みたいなんを始めるんですけど、

採用自体も初めて?

もうやったことないじゃないですか。
でもまあ、うちらその販売とかサービスの仕事に昔はついてたので、面接をやったこととかはお互いあったんですよ。
でも、その自分の店をどういうふうに、語ってどういう募集をかけるかっていうのは初めてだったので、結構悩んだね。どういう媒体で募集すんのかとか

そうね、スタッフ募集しますってこんなことするからっていってスタッフ応募があったのは、2人だけやったかな、

2人ぐらいやったと思う。なんか、ブログで最初募集したんですよ。シチニアのブログで、 色々求人誌載せるっていうことも考えたんですけど、資金もギリギリやったから。
まず、ブログでシチニアのことを知ってくれてる人が来てくれたらいいなと思って、ブログでまず募集をして、
*当時の求人募集
そしたらまあ2人ぐらい来てくれて、

周りのお客さんから5年続いてたから、もうシチニアさんが募集したら、もうえらいことになるよって

そういう前振りがあったんですね。

めちゃくちゃうまい、前振りがあって

あの、清荒神のシチニア食堂だから。大ニュースだと。 応募したら殺到しちゃうよってすんの。

どうすんのって

裁ききれないよ。って。電話とかって。で、何人でしたっけ

2人。

適度な

その2人はまだいてくれてるんですよ、一緒にまだ働いてます。一緒に思い出作り続けてますよ。

そういうやっぱ濃い人って大事ですよね。ブログを見られたっていう方なので、思いとか、歴史とかも知ってるしお店がね、愛されてるという。

あとはスカウトで何人か一緒にちょっと働いてくれへんって言って、何人かスカウトして、そっから始めました。

実際に今もいろんな方々と働くじゃないですか。当時初めてキキルアックで 一緒に働く人を応募する時に大切にしたこととか今も変わらない軸とかってあったりするんですか。一緒に働く上で

採用する上で、面接ってスタッフと一緒に働くっていうのはすごい。僕はなんかこうお付き合いする恋人じゃないけど、人と人とのことなんで、なんだろうな。そのお付き合いをすることを決める場が面接なんですけど、お見合いみたいな感じやね

お見合いみたいな感じやね

僕のことも知ってほしいし、あなたのことも知りたいってか、お互いがお互いを知ろうとしてるなかなかない場。
だからこそ、その場でちょっと違和感を感じたら、多分きっと働いていく上ではなんか大きな価値観のずれとかになるかなっていう。
なんか、そんな感じはちょっと大事にしてるというか、それはもう本当にその場でしか感じれないものかなっていう

面接は2人で?

はい。(2人で)

その時になんか決めてるのか決めてないのか、あれなんですけど、シゲさんはこうお互いのことを知る上で違和感あったら、ちょっととかって判断軸になると思うんですけど、チカさんその時に何を見てたりするんですか。

顔ちゃう?顔。

キラキラしてるか

ビジュアル?
いや。それはそれはちょっと嘘ですけど

まあ顔も大事じゃないですか。

そう。顔はもちろん大事やし、あとは本当にざっくりですけど、フィーリングが合うかっていうか、こうやって喋っててもなんか、 え?聞いてるみたいな目してる子とかもいるし。
話す間合いとか、そんなん絶対大事やなと思ってて、
面接終わった後に、シゲさんと答え合わせしたら大体一緒です。
『あ、今の子はいいと思う』っていうのは大体同じですね。

すごい、そこのフィーリング。まず、2人で結構その示し合わせたかのようにってのはすごいいいですね。何かやる上では

うん、そうですね、だから、お店を作っていく上でも、こういうお店になりたいっていう未来像みたいなんが一緒だからこそ、一緒に働きたいと思う人も一緒なのかもしれないです。

なるほど、なるほど

そのキキル(キキルアック)の募集をした時に、すごい覚えてるのが、1つの船に乗って一緒に漕いで行ける人っていうような言い方をしたような記憶があります。
一緒の船に乗るわけじゃないですか

降りるの大変そうな言い回しですもんね、途中で降ります、できませんもんね。

できないし、やっぱ一緒にみんなで協力し合って、オーナーとかバイトとか関係なく一緒に漕いで行かないと船って進まへんし、行きたい場所が同じじゃないと中で揉めちゃうし、 っていうような言い方をした記憶がありますね。

それに響いた方がずっと働かれてる方っていう感じなんですね

そうですね

こっからね、どんどんどんどんいろんな人たちがあのシチニアとキキルアックに関わっていく。
そんな中で10年間に起きた3つのこと、最後の1つとして、お引っ越しと

お引越しと、

はい。

お引っ越しされるんですね。

はい、これはコロナですね

すごいですよね、コロナの時に怒涛のごとくお引っ越し。
コロナの時こそ見通しというかね。今でこそお客さん戻ってきてて、お店も予約でってなってるんですけど、あの当時によく参道の重複にね、1階がなんて言うんすかね。調理場というか

photo | いとう写真

セントラルキッチンて、僕らは呼んでますけど

ちょっと変わってるなと思ったのは普通お客さんここに入れるはずなんですけど、
お客さんの姿っていうよりかは、あの作っている方々が見えるし、挨拶もできるし、なんだったら、僕がちょっと目をふせがちで通りすぎるもんなら、チカさんから『おい、田中』って笑
呼び戻されるような関係性で

挨拶なしかって笑ふふふ

いやいやすいません、急いでたんでちょっとすいませんみたいな。
そういう関係性でいられるのは、お客さんがいると、さすがにできない

はい、そうですね。それは結果的には良かったところではあるんですけど、
最初はコロナのことがあって移転をしてきたんですけど、それには色々理由があって、ここに1つまとめて、セントラルキッチンを作りたいっていう思いで引っ越ししてきたんですよ。だから、客席を作るつもりは実は最初なかった。
この時はシゲさんの決断がめちゃくちゃ早かったんですけど、この将来多分飲食店はダメになるって言ったんですよ。

それはどういう?

うーん、その飲食って
まあ世の中のね、いろんなものって割とこう娯楽的なサービス多いんですけど、 やっぱり飲食店もそれと同じように、外でもうご飯を食べている 状況じゃない。家で作るとか。食べ物も自分で作るそんな状況がくるし、もっと長く続くっていうことをすごく思っていて

最初コロナ始まったばっかりの頃って春夏頑張ったら秋にも落ち着いて、年明けにはもうなくなってるみたいな感じで、ふわっと思ってたんですけど、多分周りもみんなそういう風に思ってたと思うんですけどシゲさんはそうじゃなくて、この状況は2、3年続くって最初から言ってたんですよ。だから、シチニア食堂にあんな狭いお店に予約して食べに来る人なんてきっといなくなるよ。って

思ってて。
とりあえずシチニアは残念ながら、コロナで1回閉めることになるんですね。

何月に閉められたんですか?

3月ね

3月。ちょうど19年の年末ぐらいからちらちら(コロナが)出始めて年明けには割と騒動になっててすぐダメージを受けたもんね。

予約がオールキャンセルになって

すごい調子良かったのにな

割とその時調子良かったんです。

どんどんケータリングの依頼も来てたし、
出店もしてくださいって。もう素晴らしい2020年って感じやったね。

そうやねー

それがもう3月にはダメになって、デリバリー。じゃあ、来てもらえないんだったら届けに行こうって言って、

それもめっちゃ早かったんですよ。シゲさんの決断が。

自分たちを守るというよりも、こんな暗いニュースばっかり流れてる世の中、絶対みんな悲しんでるっていうのはすごいあって、もうなんでもいいから届けようって言って、

予測っていうよりも思いが

そっちかもしれないですね。

だからデリバリーに早速4月から切り替えたっていうのと、(お店の)中で食べれないんだったら取りに来てもらってお弁当として持って帰ってもらうっていう2つのことを始めまして。
キキルアックでも、やっぱり持ち帰り需要とかがすごく増えたので、もうシチニア食堂をお店として、置いておく必要がなくなったんですよ。
で、これももうきっと3年ぐらい続くっていうのもあったから、

僕らもまだね、あの当時はお2人とそんなには仲良いっていうか、ちゃんとお会いしてなかったんですけど、ちらっと聞こえてたのは、お店をやらないで、もう作って届けるとか、そういうお話を伺ってて。
あそうなんだって。このコロナのこともあるし飲食店っていうことを運営する自体こと自体が難しいってのは当然わかるので、今の時代にあったやり方で届けていくんだなと思ったら、お店がちゃんと出来上がってたっていう

製造所としてもおっきなキッチンが必要っていうことで、この物件を選びました。

ちょうどそのコロナだったけれども、シチニアはダメだったけど、そのキキルアックの2号店はテイクアウトを元々やっていたお店で、お持ち帰りっていうのがみんなに認識されていて、すごい頑張ってくれてたのよね

そうなんですよ

だから、そこをもっと良くするためにシチニアを閉じて、シチニア食堂はもう客席も使って、もうキッチンっていう感じにしてたんですけど。お客さんのとこでも切ったりするから、 ちゃんとキッチンが欲しいねって

そうやね、元々火口も2つやったしな

そうそうそう。忘れてた

そうなんですよ。あまりにも手狭になったというか、キキルアックのものもたくさん仕込まないといけなくなったし、デリバリーのものも増えたっていうことで、客席よりもおっきなキッチンっていうのを、目的にして引っ越しをしたんです。

ここの前、僕も何回かこの参道通ったんですけど、よくわかんない。あれですね、ペットショップじゃないけど、なんか手付かずで、そのままにされた状態。

ペットと一緒に入れるカフェとペットホテルみたいな、そんな喫茶店がちょろっとあったんですけど、その方が辞められてからは、ずっと残されてる状態でした。

なんか、ペットなんちゃらって書いてるんでただ中見たら何もあれなんで、あ、なんかそういうアトラクションかなと思い、見える人には見える

怖い、怖い

やっぱこうちょうど真ん中なのでがらんどうだと景気悪そうに見える

そうですよね。で、結構こう間口もあるじゃないですか、参道を歩いてたらそれがずっとこうなんか朽ちてていくというかね。色あせていく感じをずっと見届けてたんですけど。
最初全然興味なかったんですけどね。うん、これもなんかよくよく見たらこれ面白そうじゃないみたいな感じになって、
募集もかかってなかったから、賃貸で入る、

え。募集もかかってなかったんですね

かかってない。そのままにされてた状態で、お隣の末広( 末広すし)さんとかに、あそこ大家さん誰なの?とか聞くところから始めました。

行動力!!
でもあれですよね、キキルアックの時もそうですけど別に自分たちがやらなくてもいいけど、 こういう人たちがこう入らないとっていうか、楔にならないとやっぱ朽ちていくっていうかね。玄関口もそうだし、ここもちょうど真ん中やしね。なんかこうわかりやすく不景気な感じ出るじゃないですかっていうところを自分たちが埋めていくっていう

そうね。結局私ら自身がやることになるっていう感じなんですけど、ここも実は最初友達にあそこ良くない?とかって、あそこ見てきいやとか言って友達に勧めたりも実はしてたね。

そうねー。

自分たちでやるっていう予定ではないのに、最終的に自分たちがやっちゃうっていう。

そうなんですよね。はい、

なるほど。コロナの最中、お引っ越ししてきて

まず、セントラルキッチンを作るっていうのを目標にというか、目的にして、この1階の参道から見えるところにおっきなキッチンを作りましたね。

だから清荒神の参道の上まで行くは置いといたとしても、 やっぱり歩いてきた時にここにね、誰かが明かりが灯るもそうだし、誰かがいるっていうだけでもかなり大きいですよね。

そうねー。

どうですか、引っ越して色々。一年?

1年になりましたね。

下のね、レストラン、食堂も

シチニア食堂instagram より

最初は下にレストランというか、客席を作るつもりなかったんですよ。最初は

そうですよね、

最初の計画はレストランとかはきっとダメになるっていうのも、まだずっとあったから。
だけどやっぱりシチニアが移転するってなったら近所の方とかお友達とかがもう応援してるから頑張ってねって言って、 いつかまたシチニア食堂でご飯食べるの楽しみにしてるからって、すごいたくさんの方に言っていただいたんですよね。
それがきっかけで、 じゃあもう1回レストランできるように色々工夫して考えたらできるかもしれないっていうことで、地下に客席を後付けっていう感じで

ちょっとまあ、レストラン事業がどうなるかね、世の中のどうなるかわからないけども、できるとこまでちょっとね やってみようっていうことで。
でも、お金が足りなかったんで、

1階のセントラルキッチンだけの計画だったから。
下に客席作るって言うと、もう資金が全く足りないってことになりまして。初めてクラウドファンディングやりました。
*https://readyfor.jp/projects/sicinia

すごいですよね、それこそ支えてくれる人の数、熱量が

もうシゲさんは反対派で昭和のね男なんで。そんな人にお金出してもらってまでやることちゃう言うて、最後まで反対してました

でも、友達のお店とかもクラウドファンディング使って、やってる姿とか見て、なんか悪くないなと言ったらあれやけど

考え方が変わったって感じやね。

みんなで作ってるというか。
僕もその時に友達のお店に支援した時に、出来上がるのも楽しみだったし、(コロナで)暗い時に明るいニュースが1つ増えるというか、楽しみっていう部分もあるかなと思って。

なるほど。
実際にやって、クラウドファンディングに、自分もサポートしたから、そういうのも含めていいタイミングだったってことですね。

そうですね、それで皆さんにご支援していただいて客席を作ることができましたね。

で、まあその時のオープンは仕込みはちゃんと?

しこみちゃんとやってたっけな。

初日は大体仕込まないすか笑
もう慣れてるでしょ

やったよ。やった

うん。まあでも結構入念でした。ちゃんとプレオープンみたいなんもやったし、お友達とか家族とか呼んで1回やってみて不具合ないかチェックして、オープンしましたね、大人になりましたよ。

でスタッフがね。後押ししてくれるっていうのは、10年前とはもう違う感じで、

2人やったらやっぱ仕込みしてなかったかもしらんな。

成長してない笑

無成長無仕込みで込やらせていただいて笑

無仕込み製法で笑

こっからちょっとお聞きしたかったのが、シチニア食堂の10年前と今の違いで言うと、今の話ってことですね。
スタッフであったりとか 支えてくれる人が多いから、ちゃんと仕込めるようになったっていうオープニングに仕めるようになった笑
日常は仕込めるけど、オープニングに仕込まないがちなんで

仕込めるようになった

仕込めるようになった

あとは、自分たちだけでやってた。自分らが楽しけりゃいいじゃんみたいな感じの10年前だったのが今は私たちも育たないといけないし、下の人というか、後から来た人たちを育てるって言ったらおこがましいですけど、そういう立場になっていけいかないといけないなっていうのはありますね。
人もそうやし、町もそうやし、やっぱ町って人が育てないとカルチャーは生まれないので

今日ちょいちょいちょい、カルチャーを強調してきますね。めちゃくちゃ赤字でカルチャーを強調しますね。

カルチャーというか、その町についてどうですか。お2人は清荒神に人を呼びたいとか、いろんな人たちに関わってほしいなっていう思いはあると思うんですけど、この町がどうなってほしいとかってありますか。

なんか、毎年参拝客が減ってんねんみたいなね、色々聞くんですけど参拝客が増えるというか、でも、まあ商店街だった町が あの商店でいっぱいになればいいのになっていう。そこはずっと思ってます。

まあね、今もまだシャッターが多いというかもうちょっと開いててもいいかもしれない。

そうですね。観光の商店街ではなくて、 観光地ではなく普段の暮らしに寄り添えるような商店街になれたらいいなと思いますけど。

いいですね。

でも、やっぱりあの10年前のあの思いはあんま変わってないよね。ちょっと角曲がったら、気の利いたパン屋があったり、お洒落なカフェがあったりっていうあの街がやっぱすごい楽しかったから、 自分たちが住む街もそうなったらいいのになって思う。

思いは変わらへんかもね。

自分たちが住む街で、出入りする店をもっと増やしたいとかないろんなジャンルの店があったらいいなっていう。
いい話ですね。

ないからこそ作るっていうか、

それはすごいです

それはあります。

最後に。シチニア食堂さん、明日から何をしますか。

明日から。

しこみちゃう。

さすがですね、副線回収

絶対仕込みやん

仕込ませてよ

オープニングは一旦ちょっとね、仕込まないターンはあったがあの日もあの日で仕込んでましたもんね。

雨が降っちゃったから、

とんでもない雨が降っちゃった

仕込みやめっていう必殺技が

明日からも同じく

そうですね。毎日変わらず、あの街の人とも仲良くスタッフさんもみんな仲良く健康でね、日々できたらいいね。

今はね、あのご飯を作るで、僕らが作ったお店でゆっくりくつろいでもらうっていうね、そんなことでね人を楽しませてるというか、喜んでもらいたいな。思ってますけど、
うん、なんかなんでもいいです。来てくれる人たちをちょっとでも、明るい気持ちにできたらなと思ってます。

仕込むってそういうことなんですね、はい、

それが仕込みです。
しあわせじこみ。

おお!

10年間振り返ってみて

10年ってあっという間ですね。
サラリーマン時代とかって、3年働いたって結構はあはあって感じじゃないですか 。3年働いたー!っていう感じになるけど、やっぱ自分たち場所とかを作り始めると、10年なんて、全然まだぺーぺーやし、まだ何もできてないよねっていう気持ちがあります。でも、年だけはとって体力がどんどん衰えてるんですけど、気持ちはまだまだやなっていう

体力はないけど、豊かになってる部分はね、どっかにあるんかな思て。おもてますけど、

急に雑になってきた。

いや、でもほんま10年なんてまだまだ未熟者っていう感じです

なんか、まだまだ楽しいことやりたいです。

次の10年でもう1回収録してね、新しい何かが生まれた時に仕込んだか、仕込んでないか1回聞いてみて、

めっちゃ仕込んでるかもしれない。仕込みすぎて、

仕込みが通り越してるかも

仕込み貯金がきてるかも

仕込み貯金ってなんなんすか笑
1回受け入れたんですけど、何の件のがわかんないです。仕込み貯金って

欲しがってるかな、思いましてね、すいません。

確かに仕込みをね。
ということで、今日の101010RADIOのお相手は、シチニア食堂のシゲさんとチカさんでした。ありがとうございました。

ありがとうございます

ありがとうございまーす。

PROFILE
シチニア食堂

兵庫県宝塚市清荒神3-14-13

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