101010トトトRADIO

誰かの10年を聴く101010 RADIO。さまざまな職業の方々の10年間で起きた3つのことを紐解いて、その人を深掘りしていく番組です。どのようなストーリーが紡がれているのでしょうか?ぜひ聴いてみてください。作業の合間にも。listen 10 me

早星と、癌と、手を広げたことと、

読んで楽しみたい方はこちらをどうぞ↓

誰かの10年を聞く101010RADIO聞き手の田中です。今回のゲストは、デザイナーの前田健治さん。よろしくお願いします。

お願いしますー

マイクをよけるような感じの、なに。
こう俺関係ないみたいな。(他に)誰もいないじゃない

多分ね、これだけやったらわからへんけど、この状況が面白いなって笑
結構シュール。

一人で何言ってんだみたいなね。

初めてやからね。タナカさんがこうやってってるの(をみるのを)

前田健治さん。デザイナー。mém(メム)という屋号でデザイナーとして独立して10年。

10年

同級生

そうですね、同じタイミングですね

同じタイミングで独立組は多いですね。我々の業界も業界じゃない人も。で、結構周り同い年も多いですね。

そうですね、世代が一緒っていうことになりますね。

ぬえの早星(松倉早星さん)もそうだし、KUUMAの玲美さん (濱部 玲美さん)もほぼ同い年で、10年組。玲美さんとは、だいぶ初期。早星さんとあなたはだいぶ初期にあってるんか。

うん。初期。

結構だから当初みたいな初期にあってる10年組は多いよね。
最近どういう仕事してるんですか?

最近の話ですか。

あなたほら、一時期なんかあらゆることに前田健治デザインが入ってた。ちびっこうべとかグリーンズとか。ソーシャルデザイン系総ナメしてた時代あるじゃないですか。

総ナメ笑
言い方笑
言い方があるやん。

最近はどういう感じの仕事をしていますか?

細々と基本的にはやってるんですけど。
山に引きこもって

山ではない自然。
フラットだよ。

大阪のはしの方で。

坂がない町だね。

そこでほそぼそとやってはいるんですけど

ほとんど情報出さない笑
詳しくはじゃあインスタを見ろっていうことですか。
前田さんinstagram⇨

基本的にグラフィックデザインをベースにして、 ブランディングだったり、コンセプトは考えたりだとか。
まあ、割と長いスパンで、企業さんやプロジェクトのお手伝いさせてもらってるってことが多いですね。

独立して10年でね、はなからうまくいってるわけじゃないし、色々手を変え、品を変えをしなきゃいけない。我々ね、そういう運命を選んじゃったって感じだと思うんで。今日はそういう話を

選ばざるを得なかった

選ばざるを得なかったっていうか、案外いるんかな。独立するきっかけは、志を持ってする人と、志がなくてする人

確かに

ぼくは、会社来なくていいよって言われたから本当に来なくなって、じゃあその日から独立だなと思ったのが、2012年の10月。これが独立記念日。それからやったことといえばyoutubeでゲームセンターcxをずっと見る。

あ、言うてましたね。
やったことっていうか。。。

ま、前田さんもこっち側の人間よね。志があるっちゅうよりかっていうか。追い込まれたみたいな

タナカさんは、辞めなければいけないって決まった日から?

月末にお給料が出るから、その日までが9月月末まではそこの会社にいたって言うていで。10月1日から、無職っていうことですね

僕の場合は会社とお話した上で、 いついつまでいるのいないのみたいな相談になるんですけども、色々話し合った結果やめますっていうことになって多分その間3ヶ月ぐらいあったんかな。やっぱり引き継ぎもあるし、 仕事の関係上、いきなり辞めるってわけにもいかないから、僕が顔になってたとこもあるんで、そん時にね、 もう準備してたんですよ。さすがにちょっと怖すぎるんで。やっぱり自分としてもその辞めるつもりはなかったし意図してない状況になるわけなんですけど、

準備はしてたんですね

そっからですね、やっぱ決まってからさすがに何もしないのはまずいなっていうことで、もちろん、その仕事に引き継いだ上で、 今後自分の身の振り方、どうしていくかみたいのをやらんと やべえぞと。やっぱり何のコネクションもない人間がポンと世の中に出て都合よくやっていけると、思ってなかったんで、狭い世界にね、ずっといたんで。

ぼく、何も考えずに外の世界に出て、あるもないもわかんなかったね、何しようかっていう何ができるかもわかんない中で飛び出て今に至る。

やっぱ自分の性格上、やっぱこう石橋を叩きまくって渡るタイプっぽくて。結構楽観的な感覚ではあるんですけど、準備みたいのをちゃんとしたいというタイプなんです。

等しくみんなそうじゃないっていうぐらい準備は必要だよな

デザインの仕事作る時とかも割とそんな感じなんですけども、

仕事のスタンスとしても、いきなりというかね。

例えばロゴ作る時とかでも、いろんな方向性をちゃんと見ないと自分の中で嫌っていうか、 とりあえずこれでいいかみたいなところで決めきれな。不安もあるし、自分の中で判断材料が揃ってないっていうのが気持ち悪くて、それで動かないっていうのがあるんですよ。そんな感じで独立したのも似てて動き出すにしても、ちゃんとやってから、考えてからやらないとちょっと怖いぞってことで、とりあえず出てみようはちょっと怖かったすね、

で、今に至るのね。

そうですね、そのことをずっと繰り返してたんだと思いますけどね。

この10年間に起きた3つの出来事ってことで、『早星と、癌と、手を広げたこと、』
早星と、っていうね笑

なんかやらせみたい笑

やらせてはないが、よく出るワード。田中と前田さんのこの早星の使い具合多いね。

多いね。

1個目のね、早星と、
何があったんですか。

早星と、

大きな出来事って考えた時に色々思ったりはしたんですけど、ぐっと自分の中でこれはことが動くぞと思う出来事があるわけですよね。

何がきっかけ?

まあ、元々スバルマツクラさんとは

なんでそんな言い方やねん笑

当時は知り合いじゃなかったわけじゃないですか。一方的にこっちでtwitterとかでフォローしてたりとかして、知ってたんですけど、認識は全然なくてすごい人がいるもんだなっていう感じで、ずっとチェックをしてたんですよ。

当時で言うと、アンテルームはもうあった?

アンテルームができたタイミングかな

ネットフォロワーみたいなきっかけって、アンテルームは大きいですよね

大きかったですね

あれは衝撃的でしたもん

さっきの話じゃないですけど僕も元々そんなtwitterも見てなかったし、当時 。
だからいざ独立するぞってなった時にアンテナ張らなあかんなと自分で思ったわけその時に必然じゃないですけど、たどり着いたと。やってることめっちゃ面白いし、当時もね、いろんなゲストを招いて、トークとかもやってたから。関西でなかったから

東京ではないけど、東京の匂いはした

そうそう実際ね、東京から来たってなった時に、ざわつきましたからね。そういうムーブメントがあったんですね。

そこの匂いをよんで今ここにコインをかけといた方が、
動くぞ。みたいな

元々注目してたのもあったし、 一緒にできたらいいなとは思ってた中で、1つちゃんときっかけはあるんですけど、 松倉さんが本気でwebマガジンを作ろうっていう、文化発信みたいなものが、いわゆる東京では、HITSPAPERみたいなのがめっちゃ今でもあるんですけど、それをチェックしてれば、アート、デザイン界隈の最先端が知れるみたいな。みんなチェックしてて、そういうのがあったんですけど、 関西は全くそういうのないんですよ。アート情報だったりだとか、デザイン情報みたいなものを、これ見てりゃいいみたいな且つ、最先端をみすえたみたいなものが特になくて、松倉さんが関西に来た時に本人も言ってたんですけど、周りからそういうの作ってくれみたいな話があったんですって。
やってよ、やってよみたいな。
みんなもそういうの欲しかったってなってご本人もちょっとそういうのやりたいっていうのが立ち上げますぞとなりました。で、立ち上げに際して、メンバー募集ということが、twitterとかやったかな。募集がかかったですね、10年前。
それを見た前田青年は

前田青年笑
まだ29?

おっさんか。

おっさんじゃねえけど、今の前田さんのように、何かこう実績として持ってるわけじゃないから。前田青年

は、ツイートを見て、ちょっと鼻息が荒くなったわけです。ふわふわと

来たと

もうやっぱりその見た直感でこれはいかな!と思いまして。
メンバーなんで数人募集みたいな感じで。
マガジンの記事を書いたりだとか、イベントを起こしたり一緒にみんなで作っていくっていう。純粋に入りたかったし絡めたら かなり自分のステージ変わるぞと思ったんです。今まですごいね、狭い世界にいたわけなんで

ま、プロフィールで言うと、僕と前田さんって非常にあの競合みたいな近しい制作会社ね。

そうですね、いわゆる制作会社です。

そこの関係性もないっすもんね。隣同士の制作会社ともそんなにも接点ないし、外の人たちとなんか行きますかをするには、時間がないし、情報もないから、自ずと狭い世界になってしまう。

そうですね。華やかな世界ではあるんですけど、すごいコミュニティが狭いというか、なかなか もったいない世界ではあったので、ま、それとは全然やっぱ違うんですよね。

来たと、俺の俺の風穴を開けてくれるやつ、

やっぱりいろんなイベントとか足運んでたりしたでんすけど、単純に楽しかったし、 中で声かけたり、させてもらって繋がり作っていいかなみたいな感じで、なんかようわからんけど、必死やったわけですよ。そん時は

早星さんがそのメディアを立ち上げるよっていう時に、もうメディアのタイトルついてた?

ついてた。ついてた。CNTR(センター)

今の話で思い出したもん。
一方田中青年はずっと指をくわえてたよ。羨ましいなって。

見てたんですか

前田さんからその間接的にある年まで5年間ぐらいまで、僕早星さんと会ってないので、その話を聞いてたじゃない、羨ましいなってずっと田中青年のまま笑
そして募集してメンバーになったと。
大きな転機とか、自分の価値観とか見てる世界とか、アンテナがうがっと広がった

そうですね、やっぱ単純に広がったなっていう感じがしたし、実際数人メンバー集まって、話していくと自己紹介していく中で、 デザイン業やってました。独立したところで、みたいな話になって、そん時にね、松倉さんも同じような状況やったんすよ

そうね、ovaqeと立ち上げ初期か前ぐらいか。本当に立場は一緒ぐらいか。

そうそうそう。
なので、まあなんとなく僕らがいてる業界のことも理解してくれてるし、話が通じ合うていうかわかる。
ま、タナカさんも一緒なんですけど、あっていいねって、これもやるけどなんか仕事も一緒にしたいよねみたいな話になったんすよ

すごいね、10年前から簡単に言うと、仕事し続けてるってことは、尊いね。10年一緒に仕事する人って僕まだいない気がする。会社員自体も別にそんな10年なんてもないもの、同じ場所

たしかに10年ってなかなかない。

2人で早星さんに花束とか送ろう

ありがとう、おめでとう

どういうことやって笑
エヴァンゲリオンみたい
10年って最長じゃない?

確かにないわ。

パートナーで言うと他の方々もいるけど僕らでもその第2位ぐらいマエダタナカは

ちょっとした差ですけどね。
まあ、初見田中さんはね、競馬新聞

よくわかんないからいいんだ。ちゃんと説明して、あなたしか笑ってないし、あなたのほら、前の会社の先輩怒ってたじゃん笑
そんなこと言うなって。コピーライターの先輩。

ひとのこと馬鹿にするんじゃないって

泣きそうになったよ笑
いい人だな

一生こするからね。

あなたしか笑わないんだからやめてほしいんだよ、みんながこれ笑ってあははってなるんだっていうけど、いまいちピンとこないから

もうこれに関しては、もう僕が面白いかだけでいいの。これをしらない人に振って、どんなリアクションするかだけ ちょっと申し訳ない。そこだけちょっとつかわせてほしい。ちょっとでも今ね、新聞記者感なくなって残念なんですけど

やっぱり出会いで仕事取り組み方じゃないですけど、受ける仕事を今まで大体 こういうものを作るって決まってるような。
アイデアとか決まってなかったりとか、当然デザインは決まってないけどもプロジェクトとか事業みたいなものが、 一緒にやっていこうみたいな絡み方で、自分にとっては、新しい仕事が増えたんじゃないかなと。デザイナーとして入るけども。

もちろんデザインのことはずっと好きで、ずっと追求はしてるんですけど、社会の仕組みだったりだとか、経済の仕組みだったりだとか、お金の動きとか、ビジネスみたいなのは興味あるんすよね、元々。
それをゴリゴリにやりたいってわけじゃないんですけど、完全なる経営者、稼ぎまくりたいとか、そういう話じゃないんですけど、 仕組みみたいなのはずっと好きで。デザインの側面もそういうのはらんでるじゃないですか。
そこを通して見るっていうのも結構ね、興味としてずっとあるんです。
プロジェクトとして関わっていく時に関しても、ただ作るだけじゃなくて、ものを売る会社さんだったりだったりとかしたら、ものを売るにはどういう風な流れでやっていくのがいいのかだとか、それに至る過程にも、どういう風なことをプロセス得ていけばいいのか見るようにはなっていってますね。

2012年からこの10年の間でいろんな 流れがこの業界というか、この業界にいる人たちの中で出てきたかなと思うものの1つが前田さんが 言ってくれてたようなものを作って終わりじゃなくて、もうちょっとどうにかしていかなきゃいけないとか、アイデアも大事だが、人に寄り添う。事業者、経営者に寄り添うとかお客さん目線になるもそうかもしれないですけど、よりなんか あの土っぽいと言いますかね。単純に広告作って広告でおもろいでしょみたいなものは、あんまりなくなったかなという感じ。

そうっすね。
ずっと仕事を通してとかなんですけど、違和感を払拭したいなっていうのがあるんですよ。
やっぱり、デザインとかやってても作って終わりていうの、本当にこれでいいのかみたいなのが、やっぱずっとあったし、 お仕事していく流れとかで、本当これで大丈夫なんかみたいなところはやっぱりずっと引っかかるんで、消したいからこそ、じゃあ、寄り添ってやっていく方がいいよね。っていう風な判断になっていってるんだと思うんですけど、 やっぱその違和感みたいなのはね、ずっと自分の中ではテーマであるかもしれないですね。

世代なのかわかんないですけど、今でもある人ない人もあるけどある人が増えた気がしますね。そういうものが大事だなって作るものも、 質の高いものとかは大事なんですけど。前提としてね、どう取り組むか向き合うかも重要じゃないですか

はっきりさせたいんです。デザインって曖昧じゃないですか。曖昧な言葉で、やっぱりすごくいい言い方悪いけど、ふわっとしたまま人を惑わしていくじゃないですか。こういうもんなんでっていうところで、 そこに対する気持悪さっていうのは、ずっとあって、大人の世界には

雑誌にしろ、何しろデザインが優れたものに囲まれている日本ですが、教育しろ文化を発信しろとは思わないんですけども。 文化があるとか、教育がなされているってところで言うと、これを見た時に、批評性じゃないですけどアニメ見た時に今やその面白かったじゃなくて、ここのシーンの原画がってのが、一般人レベルで言うじゃないですか。デザイン見た時の反応で、大体一言よ、『おしゃれですね。』だもん。
やっぱ、そこの言語がやっぱりないんだなって

そこ止まってるじゃないですか、それこそ、もう何十年、何百年の話になるんですけど、一生そんなことのままの状態じゃないですか

積み上げられてないじゃない。

デザインってこうあるべきみたいな。デザイン論みたいなって。
それも誰がどこで決めたかようよわからん。デザイン論に乗っとって、これをよしとされてるラインがあるんでしょうね。
それもよくわからないし、

結局ま、色々ほらtwitterとか見てたりすると、前のロゴと今のロゴ。
直近で言うと、あの 東急ハンズ

あ、いいの。そんなこと言って、

なんにも絡んでない

めっちゃ直近やん。昨日(収録は10月末)

前が良かった、今がダメだったみたいな話って。特にが良かった時代に生きてる人からすると馴染みもあるし、今のあのロゴはわかんないんだと。
今の時代に生きてないっていうか、もっと若い人に向けてて、これはめっちゃいいですね。って若い人はなってるかもしれないけど、こっち側はもうもうわかんない世代になっちゃったかもしれない。ロゴの工芸的な話だから、デザインが難しいと思ったよね。昔の映画を見て良かったっていうのと、昔のロゴを見てよかったっていうのって、ちょっと違う気がして、ロゴが変わって今のロゴになったやつを見た時に結局なんかそこに良い理由が見つからないっていうかね、説明ができない。
積み上げられてこうだなって、デザインをちゃんと語れるような言葉を、僕らは持ち合わせてなくて、『おしゃれですね。』『前のがよかったですね』しかないのよ。

そうですね、プロセスとかこういうな周辺で
「なんか ほらいいでしょう」とされてる風潮あるじゃないですか。

1番最初に言ったもやっとするとか、ぼんやりになっちゃう。

その理由を色んなところに置き換えてるだけで、なんかみんなが納得したような気になってるんです。
確かに工芸的なところとか、造計的な目で言うと、 正直まあ、僕は微妙かなと、突っ込みたくなるとこあるんですけど、でもね基本的にはやったらええんちゃうかなっていう、ノリではあります。いつも僕いろんなん見るんですけど。

他のやつと違うっていうのはチャレンジングだなとは思うので、そこは評価されてもいいんじゃないって。

これはいいのかとか、色々批判の精神とかもありますけど、 ま、ダメかもしれないけど、とりあえずやってみたらっていうパターンは多いっすね、僕。

事業と一緒なので、そこが100パーセントで当たるなんてものはなくてやってみて軸ずらして、ちょっと変えて、もう1回やってみて、またちょっと違うなって、チューニングして、本当の事業になるけども、なんかそれを良しとしない業界な気がするね。1発目で正解っていう感じになっちゃうけど、ブラッシュアップし続けられる。

もちろんその事業の予算みたいなとこもあるんですけども、次に繋がってればそれは全然やればいいんですけど。
ただ言うだけじゃ何もことが進んでないし

じゃ、とりあえず出そうって

もうええんちゃうっていう感じがよくあります。いろんなフェーズにおいては、

ちょっと話がスライドしかけてるので、10年の中に感じた違和感とか、仕事をしながらのスタンスみたいな話とかデザインとの向き合い方ってのが今の話かなと。
10年で、 前田健治の2つ目の『と』で言うと、これは重く喋らないようにしたい話です。

そうっすね、軽めで

軽くできるかな、ガンとね

癌と、

何年前?

2年前かな

2020年。
あなたから電話来て、1時間ぐらい別の話をしてたんですよ で、僕打ち合わせあるんで、切るよって。(別の)オンラインミーティングしようと思って、 静かな場所を確保せねばってね、そこに入ろうと思ってから1時間。

そうですね。話して。
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梅田の炎天下で喋ってて、ちょっと打ち合わせあるんで、切りますねっていったら『重大な話があったんですけど』って言われて、 重大な話って何?お仕事?『いや、仕事じゃなくて。』仕事以外で重大なことの相談。
まさか離婚?みたいなね、『いや、離婚じゃない。』『そんなんじゃないんだ』って怒ってて、またじゃあ別日でってこの日でって言って、僕はミスドで聞いてたからね、嫌な予感だ、絶対嫌な予感。
で、多分。きっともうこれしかないじゃんって思った話を今からミスドで聞くぞっていうドーナツ食べながら

なんとなくわかってた?ま、それぐらいしかないもんね

別に離婚でもないし、あれでもないし、これでもないつったら病気じゃんみたいな。
最もあれじゃんっていうポピュラーで。
聞くに、ちょっと重たいポピュラーのやつじゃんってやつをミスドで聞きまして。それが2年前。

2年前ですね。その辺はすごいはっきり覚えてるんですけど

それはまあ大きな転機っていうか、仕事の仕方も今まで割とね、夜遅くまでもやって子供もできたから、ちょっと変わったかもしんないけど。

子供ができて すぐぐらいのタイミング。

夜は遅く、働いても大丈夫とか激しく働いても大丈夫でしょみたいな感じはあったでしょう。

タイミング的にはコロナ始まる始まらないぐらいそうだったと思うんですけど、1番忙しかったんすよその時。どんどん右肩上がりで忙しくなるしで

1番ほら、 費用感の。
先方というか、クライアントとかいろんな人が出すには。前田さんが1番こうフィットする価格というかね。

都合のいい。私、都合のいい男。

遠い目してる。
でも最低限じゃなく、もうちょっとやっぱ2、3個分上のデザインをお願いしようって なった時に、誰にお願いしようって難しいわけじゃないですか、で、前田さんにってなる

ほら都合がいい

これ都合がいいっていうの?

ま、僕の中でね。都合がいい。

いや、選ばれる男

都合がいいにならないように頑張ろう

選ばれる者。その選ばれし者がピークに来てたっていうね、発注というか、仕事のね、

ありがたい話で。どんどん仕事の量も増え、頑張るぞと。
仕事量もすごかった作業料。ずっと仕事してたって感じやったんで っていう時期だったんですよ。お酒も飲んでたし、生活としてはかなり良くない生活をしてたんですよね。

お酒をだから飲んでないのね

今飲んでないっすね。たまにそのどっかイベントあったり、あと旅行行ったりとかするときに嗜む程度。

今思い出したんだもん。
あなたズクズクに酔ってヨドバシカメラの前でシャツを全部 僕のボタンを全部取ったり下り、自転車のサドルを引っこ抜いて、ヨドバシカメラの方に向かって投げたりとかしてたしで、
それこそ、早星さんとのセンターの飲み会かなんかわかんないけど、泥水して耳にお酒入れられた笑
それぐらい飲んでたよね

それは寝る方が悪いよ、それは、

寝る方が悪いっていうは、よくないんだって怖いじゃんかよ、やめろよ、
飲んでた今思うと。飲んでたね、
多分そういうものもあったけど、やっぱり病気と向き合うことになった時に、色々考えたという

そうですね、それまで普通に生活して、仕事バリバリやって、酒も飲んでみんなとね、遊んでういういしててやるぞって言ってたんですけど、180度世界が変わっちゃいまして、そん時に

タイミング的にはコロナ禍真っ最中。

結局ね、それも相間って環境が全て変わりましたね。

当時はほら病院とか大変じゃない。ギリギリだったわけでしょ

ギリギリアウトやアウト。もう完全に影響受けてたから。だから僕的にコロナの状況はとても恨んでおりますね。

そこで最大向き合ったことってなんなの。

やっぱこまさかそんなんなるなんて誰も思ってないじゃないですか、

ミスドで話をして、行っとけお前って言われたのよ、病院にね、ちょうどそん時、 この下腹部あたりに違和感を感じてて、ちょっと行きますって近くの検査できる病院に行って、見てくれと

急に怖くなった笑

ちょっと友達がちょっとあれだからつって見てもらって結果出るわけじゃない。 先生が笑ってんだよ。で、どうでしたってうん、特に何もないですよ。って 脂肪肝だけあるんですって。

やっぱ、自分の体を診るってことは重要です。

その時はきっかけとしては、僕はそんなんありましたね。あると思わないじゃないっていうのはある。

いや、誰しもそうじゃないですか。僕もやっぱそうやったしそれはわかるわけですよね、でもまあ 健康診断行った方がいいっすよ。自分の体って意外と自分でわかってないから。
知るって結構単純に面白いですよ。自分はちゃんと見るっていうのは、医学的な話だよね。数字でもいいし、

向き合ったところで、そういう予期せぬことが起きるよなって思った時に、向き合ってみて、なんかこういうアクションとろうとかってありましたか。

とりあえず検査をして、癌ですっていう結果が出て、 すぐ手術をしないといけないです。って手術を2回したわけなんですけど、一応まあ、癌のステージとしても、一応転移はしておったんで、ステージ4になるんすよ。

おもたいね、

これはね、単純にその数値の話で統計的な話ですね。転移をしてれば軽かろうが重かろうがステージ4にはなるんですけど。ステージ4って いわゆる生存確率とか、再発率って言ったら、再発率とかじゃなくて、生存率の方になってくる

重たいわ。重たすぎる

1とか2やったらね、再発率30パーセント、40パーセント、50パーセント。じゃあ、再発しないように祈りましょう。みたいな 世界なんですけど、4まで行っちゃうと、もう生存率何年何パーセントなんですよ。
一応僕のやつは腹膜播種っていう転移で、一応5年生存率が何パーやったか、20パーやったかな。10年とかなってくると、まあ、30パー40パーとかとか、ちょっと。細かい数字は忘れちゃったんですけど

それと今後向き合っていかないといけない

次に1つね、その向き合わないといけないものがぱっともう提示されたんです。カード出されたんです、はい君こっちでっていう 。これはもう今までのこれなんて関係なしですよね。
はい、お前これって。

10年になると多少確率は上がりますよ。っ生きれる確率は上がりますよって前の10年にはなかったからね、

なかったので、なので、まあそこは向き合わないといけないとこなんで、やっぱり1つのその時間的制約が出てきたんすよね、
生きてりゃラッキーやけどっていう感じで基本的には生存率とか言うと、5年っていう区切りが1つ考えざるを得なくなったわけです。

あの当時から5年よね

あっこから5年かな。だから、もう今2年過ぎてるんで、それ考えたら3年しかないですけど。

不謹慎なこと言うけど、万博と一緒だね

そうそう笑

ドッカンドッカンいく
俺と万博どっちが残れるのかって

これぐらいちょっと笑いにしないと重いよね、

まあ、僕もそんな重いとは思ってないんで

多少でも当時の、 そういうことを知った時に比べると、今の状態はまだ向き合いもあるから、多少気も楽になってる感じなんですか

かなり楽。これは人性格でによりますけど、 自分はかなりポジティブな方やなって思いましたね。これはね、ほんとに人によってはね、きついんすよ

僕だって無理よ無理。昨日ちょっと怒られたことですら、もうちょっと嫌なのに

ま、それが原因でね。また、違うあれになったりもするし、やっぱりなかなかこのね、なんて言うんすかね重たくなっちゃうんですけど。死と向き合うみたいな話なんですけど、これってまあ、健康な時はもちろんそうですけど、 あんまりそんなこと考えることもないじゃないですか。考えたとしても実際、リアルにカードを置かれた人間と置かれてない人間と、やっぱ差はあるんですよ。

体験してないしね

そうなんですよ、だから、その違いがねはっきりどんどん自分にのしかかってきたんですよね。こういうことかと、

いい方に捉えると、自分の時間っていうものをもっとこうちゃんと向き合わなきゃいけない

向き合わなきゃいけない。本当に大事なものを、フォーカスする角度みたいなものがバチコーンてきましね

手を広げたこと と、

てことで、それが 大きな転機となって3つ目ですね、自分の時間との向き合いから3つ目の『と』で言うと、『手を広げたことと 、』今までデザインワーク。いろんな自分のポジションとか、役割の中やっていることはいろいろあったけれくくりで言うと、アートディレクターとか、デザイナーからは外れてなかった。手をひろげたこと と、

生業としては、グラフィックデザイン業みたいなものは、根底にはあるわけで、もちろん自分はそこも好きだし、続けていきたいっていう思いもずっとあるわけなんですけども。まあ、反面癌になった時に、自分の生死とデザインみたいなものを照らし合わせることになるわけなんですよ。自分を構成してる要素じゃないですか。
ってなった時に、あまりにこのデザインっていうものが、 無力と言いますか。
もちろん自分はデザインのことを好きやし、信じて色々こう追求していきたいなっていうちょっと職人的なノリもあったんですけども、

ちょっと別の記事にも書いてるんですけど、二つ名をつけるのが好きで。青い稲妻みたいな前田さんにつけた2つのあれだもん。デザインサイボーグ。かデザイン製造機。『それでいいです』って言ってたよね、デザイン製造機でいいんですよって

僕最近それですわっていってました

あの、ビフォア癌のときに

言うてたもんね、

言ってた。『僕はデザイン製造機でいいんです』って、ただあのかっこいいやつ作れれば、別に意味とかどうでもいいんです。とか言ってたもん。

バーって入力し、口がバーって出てきますよ。みたいなんね

デザインサイボーグ、デザイン製造機として生きようとしてた。
アフター癌としては?

アフター癌としては、なんて言うんですかね。デザインっていうものに対して、裏切られたっていう感覚がすごく強かった。

裏切られたって感覚なんだ
僕らの仕事、結局人のものを作ってるので、自分のものではないなと僕はその向き合い方が結構好きで、自分の匂いとかってのはあんま出したくもないので、そこの製造業の製造業で、ちょっと 今の時代にあって、もっとみんなが言わないこと言いましょうよ。ぐらいはお手伝いしたいなと思うし、別にそのコピーが誰が考えて、誰が落とし前つけたもんじゃなくて。誰でもよくて、そこに関わってたらいいなぐらいなもんなんで、 僕はあんまりなんとも思わないんですけど、そこにちょっと違和感はあるわけでしょ。デザイナーとしては、

そっちはね、違和感はなくて、お仕事として人に対して何かをお手伝いしたりとかっていう話はあるじゃないですか、そこは一緒なんですけど、それが例えば、じゃあ、自分に対してそれを何かしてくれんのかって 同じことをね。それまでは、その人に対してのお手伝いをしてるわけじゃないですか。いわば、その主語がその人たちなわけで、自分はそこに寄り添ってやっていくの。もちろん、そこは100パーセント間違いないんですけども、 じゃあ、その主語が自分になった時、前田に対して前田がそういうデザイン何かできるかってなった時に、あまりにも無力すぎ たんですよね。

あー、なるほど

ちょっと2軸になっちゃうんですけど、そっちに向き合わざるを得なくなっちゃって、そこに対して何ができるのかっていう答えが全く何も思い浮かばないのが すごく僕としては、裏切られた感覚があったんですよ。やっぱまあかっこいいですけど、美化したいんですよね。こういう風にデザインってこんないいもの、素敵なもんなんだって。

デザインで人生をね

豊かにしたいし人を救いたいしとか、あんなことができるあんなことができるってま、みんな好きじゃないですか。やっぱ美化した話って。
でもね、そこはやっぱ残酷というかそういう状況になったから見えちゃったんですけど、やっぱ思ったように、そんなに応えてはくれなかったって感じ。

その時にじゃあこれからどうしていこう、
手を広げたこととっていう話でいうとと、どうしていこうかなと思ったんですか。

従来のクライアントさんだったりとか、他の人に寄り添って、 より良きものを作っていくみたいなのはやるんですけど、もう1つ自分を主語にした方も、残したいなとおもったんですよね。

自分にとっては、それが残るっていうのは大事

キーワードとしては、多分残るっていうことが結構キーワードになっているんですけども、やっぱなんか残したいなっていうのはあったんですよね。

それは僕なんかよりも切実にね

残すって、もちろん、物として残したいってものもありますし、 記憶として残したいものもあるし、デザインも1つ残るものだとは思ってるんですけども、作って終わりじゃないですけど、作ったものに対してなんかね。ハリーポッターで分霊箱ってあるじゃないですか、
*分霊箱とは
https://harrypotter.fandom.com/ja/wiki/%E5%88%86%E9%9C%8A%E7%AE%B1

魂を小分けにしたボックスでしょ。

分霊箱を全部倒すとヴォルデモート卿が死ぬっていう。それを全部壊そうっていう話なんですけど、ま、それは逆やと いう感じでいえば、自分のなんか作ったものに対して、その魂みたいなものがちょっとずつでもいいんですけど、宿って残っていったらいいなと思うんですよ。逆分霊箱。

もしくはミートくんの身体だね。
バラバラにされたやつが、前田さんがちりにぢりになって最終的に合体して元に戻ってミートくんになる。

例えばね、ロゴとかに関しても100年ぐらい残るものを作りたいなと思ってますけど、そうなった時に、単純に100年作ったっていうよりかは自分の子供だけでもいいですよ。自分の子供が見て、父親作ったんだなみたいな感じてくれたらいいかなと思ってて

そこで手を広げるという意味でやったことってなんなんですか。

そうなってくると従来のデザイン とやっぱ違うこともやりたいなっていうのは、実は元からずっとあったんですよね。性格的なあれなんかもしれないですけど、抗いたい。グラフィックデザインとか、レールみたいなんってあるじゃないすか。こういうことやって進めていきますよみたいな

なんか、賞をとるとか、案件とか、仕事をするみたいなのは、なんかステータスとしてレールはある気がする。

なんか、そういうのも道としてあるんでしょうけど、

前田健治っていうのを認知したのは、カッターのやつ、

あー毎広かな(毎日広告賞)

毎日広告賞で出したやつとか。賞とも別に無念であったわけじゃないじゃない。

あ、そうっすね、そん時本当賞取ったら世界変わるぞみたいな

僕なんか全然賞とは無縁の男だから

その時もね、賞取ったら世界変わると思って期待してたんですけど、何にも変わらなくて、人気者になるんじゃないかなと思ってたら、なあんにも変わらなかったチーンみたいな

それが多分現体験で抗うじゃないけど、この道に別に沿ってても何もその先ないし、屍だらけ。

沿ってる人も実はもういるわけじゃないですか

それはなだたるひとよ
個人的なブランディングをされてて、いける人はレールで十分いけるよって

それもいいんですけど、違うとこ見たいなっていうのはずっとあるんですよね。

それで作ったのがこれ

ANT0RAいう自分のオリジナルのステーショナリーブランド を作りたいなって。
これはね、実はもう癌がどうこうみたいなの前から構想っていうかやりたいなってずっと思ってたんですよ。何かしら自分発信でものを作りたいなで、そうなった時に、やっぱノートみたいなものを作りたいなと思ってて単純に1個作るだけじゃなくて、ちゃんとブランドとして成立させて

何年ですか?ANTORA立ち上げは?

2021年。去年ですね

1年。
自分のブランドを持つとか。自分がやったものが、こう残っていくようにする、1つの アイテム。分霊箱。
またほかの分霊箱あるんですか。まだ仕掛けてる最中のの分霊箱
いや分霊箱って、なにこれ


きもちわるいなこれ
かいたくなくなるよね笑

いま、他なんかあるんですか。自分が残すっていうものに関して仕掛けてるものとか、いまやってたりするものって

そうですね、これはちょっと、仕事っぽい延長線上の話になるんですけど、
元々趣味で ゲームが好きだったと。
ずっと好きでね、昔から

ゲームでバカみたいに起きてたよ。あなた、ずっとゲームするので、徹夜してたとかなかった?

そうですね。結構削る。
どうしてもね、ゲーマーは睡眠時間。

ゲームのなんかロゴとかあれやこれやってたし、我々も1回ゲーム会社のブランディングしたりはしたからね。

ちょこちょこね、お仕事としてゲーム。それはそれで楽しかったんですけどね、 やることはあったんですけど、自分の主軸とゲーム みたいなものが繋がる機会って、基本的にはもうなかったんですよね。

全然遠い業界だもんね

遠いんですよね、

思った以上に接点がない

やっぱりゲームってどうしてもその娯楽であったりだとか。サブカル的なものであったり か、ちょっとデザインとか、アートとかみたいなのとは縁遠い世界ではあったんですよね。ちょっとオタク気質も強かったり

求められていない気がする。コテコテ
ベタなのが1番いいみたいなね、

やっぱり人もね、全然違うしどうしても距離がある世界ではあったんですけど、
ずっとそれも僕もなんとなくテーマであって、そこの離れた世界を繋がらないかなと思ってずっと思ってはいるんです。
で、ちょっと1歩。繋がり始めたのが昨今。プロゲーマーさんで、 ストリートファイターっていうゲームのタイトルでプロとして活躍されているときどさんっていう方がいらっしゃるんですけども、

これはね、僕全然(ゲーム)知らないけども、僕が知らないラインの中で知ってるってことは、相当有名な人よ

そうですね。それぐらいそう認度高いんだなっていうこと改めて。
情熱大陸もね。

あ、そうか、それで知ってるんか

すごい嬉しかったけどね、きたーって。社会性ね。出てくるわけじゃないですか、すごく

ゲームとか、プロゲーマーっていう商売がね。

やっぱ、1つの指針にもなってるんで、情熱大陸は、

そこで、その彼の何をしたんですか

ずっとファンで追いかけてたっていうのもあるんですけど、ユニフォームをリニューアルするっていうタイミングで、
まあ、いろんなねプロゲーマーさんいらっしゃるんですけど、チームとかもそうなんですけど、ユニフォームデザインって、よく募集されてたりとかするんですけど、
(詳しくはこちら:https://note.com/kenjimaeda/n/n19d48000e756

他のなんかスポーツよりかは、ポピュラーに個人が応募してたりするんすね

やっぱそうなっちゃいますね。

予算的なこともあるし

できる人募集とか下手したら無償のとこもあるんですけども。
全然そんなレベルのところで、あんまり自分にとっては関わる接点はなかったんですけども、 やっぱりちょっと本業もあるし、なかなか気をつけづけづらいとこもあったんですけど。今回は単純にデザイン募集っていうんじゃなくて、デザイナーさん募集だったんですよ。

大括りでいろんなことを一緒にするパートナーとしてのデザイナーさんね

前提が全然違うくて
これだと、自分本来のやってることとかなり近しいことなので、

自分の軸としては、その土台があると

お力になれると直感で思いました。
これ、さっきに出てきた松倉早星さんと(一緒)同じような感じ

10年越しにまたちょっと。
10年ぶり2度目

これもtwitterなんですけど

10年ぶりだわそれ。ちなみに、ときどさんの何月ぐらい

4月ぐらいやったかな。今年の2022年4月ぐらい。
ほぼほぼ10年に1回こんなのが来て、

10年ぶり、来た。
ビビビが来た

そうなったら結構動くが早いんですよ。ふわってなって、

センターの時と一緒だ

これいかなと思って。
で、そん時はすぐ応募して

ときどさんのtwitterとかチェックしてたんすか

してたし、まああるんですよ。ゲーム配信みたいな、ゲーム番配信番組みたいのもあるんで。

なんか偶然じゃないけど、本当に自分はあてがえられるものだなってなった時に、日頃見ないけど、たまたま見たとかあるじゃない。そういう感じでもなくて?

ずーーと見てて、ふァーってなった

早星さんの時もそうやもんね。傾向いっしょだわ。

56:55
いろんな接点あるとは思うんで、そのやり方とつるじゃないですけど、それこそ会いに行きたいです。ともあるけど、

なんかないとね、

やっぱなんか募集とか一緒にしませんかみたいなところで、ピピっとこう感じるって、がっと動く力って あるじゃないですか、大事じゃないですか、それでこれはって思って、「自分ならできる」、「やりたいっ」て思って。何名か応募あったらしいんですけど、面談みたいなのをして、僕はこういう感じやりたいです。って話させていただいて、一緒にやりましょうか。ってなったんですけど

この10年の蓄積なめんなよって

うーん、そうですね、自信あるかないかいわれたらあります、
もちろんもっとすごい人もいらっしゃるでしょうけど、自分もやっぱ好きやし、愛はあるし、やりたいって思いもあるし、 よりよくできるっていうね、自信もそこにあるわけやから。

今そういうことも手を広げて。

そうですね。まあさっきも言ったようなデザインと縁遠い世界を なんとかして繋げられないかなっていう第1歩 になればいいかなと思って。というのが大きな出来事としてはそうです。

自分の中での時間制限ね。これからのものっていうものが、他の人よりかは自分の中での物差しができちゃった分、意識してるっていう。

生き急いでるんじゃないですけど、そこまで焦ってるわけじゃないんですけど、見る角度が変わりますよね。

10年前と今

性格が変わったとかなんか違いってあるのかなと。10年前との違いを聞こうと思ったら、10年前と同じことしてたっていうのはいいね。

そうですね、話してたらそうなっちゃいましたね、僕も気づいてなかった。

10年前と同じことするって、なんか希望だよね。次の10年後も同じことしたら最高だよね。

何かね、ピンと来た転機となる広いものがあるわけやからね。

風が吹いてるって

ビビビっとこう。
これは動くぞ的な。

10年前はやっぱり視野が広がったとか、価値観ががガラっと変わった地点は、多分お互いにあるところじゃないかとおもいます。狭い会社のビルの中みたいなもんしか見えてなかったから、そこら辺はなんか違いってありますか。10年前と。家族もできたしね。

そうっすね、まあ本当何がメインかって言ったら1番家族なんすよ。今全然話はしてないんですけど、ちょっとあえてそんなに言わないんですけど、そこにはベースあるので、 地続きでできてるとこありますね。その生活と仕事みたいなんがもう1つのものになっちゃってるってのには

いいと思いますよ。どうせ、そこで得られるものは何かで活かせるし

いろんな様想を含めて自分みたいなのが形作られてきてるのが 今っぽいかなって。だから、そういうのさっきのゲームとかもそうなんですけども、ずっとやっぱ自分の中で持ってるんですよね。それを なんとかいろんな要素を組み合わせて、最終的にこうなりましたみたいな途中だと思うんですけど、そうなったらいいなっていうところがやっぱ今と10年前とは全然違うかなって、本当は10年前はただがむしゃらにこれをやった方がいいんだろうみたいなことばっかりを繰り返して。それも重要なんですけど、土台作りに

ここまでの成長っていうかわかんないですけど10年前のままだったら、もうやってられないよね、仕事はね、

やってられないっす。

多分、求められてもいない気がしますよ。僕ら

それはそれであるんですけど、ある種楽なんですよ。ある意味考えないんですよね、それやればいいんだから。

それは会社の中だったらいけますけど、独立稼業とかもうチームでやろうってなった時の振る舞いとしては、なんか工夫とかないとそこに、はまれないから、多分難しいと思うっていう。

そうですね。でも、ある種のフレームワークみたいのってあるじゃないですか。デザインとか、プロジェクトを

まあ、あるっちゃあるけどね、

フィニッシュするまでの。大人だから、ある程度できるわけじゃないですか、それをずっとやり続けるっていうのはあるんですけどね。ただね、結構楽なんですよね。同じことするって うん。さっきの道じゃないんですけど、それもやっぱり自分的には違和感なんですよ。

違和感だらけ。
僕はそれは結構同じことをし続けられるかどうかってのもやってみたい。来ないもん、あんまり現状やっぱそこは良しとはされてない

良しとはされてはいないか。

良しとはされてはいない。
世界観になっちゃいましたね。続けられないもんね。

明日からのこと

最後に。前田さん、明日から何をしますか。明日、直近明日のことでもいいし、未来。
あれよね。今日わかったことが10年間に1回あの風が吹くっていう。だから10年後もtwitterがあるようにしてもらわないと、ほら風吹かないから同じtwitterを見て、風が吹くって、

twitterかどうかわからないですけど、どっかで落ちてるんですよね。それをちゃんと見れてるかどうかやと思う。

それを見ていこうというのを明日以降ずっとやっていこう

それはずっとやってると思うんですけど、明日以降?明日から?

明日の話を聞こう

事務所頑張って。。

事務所引っ越そう。引っ越すつっても、この近辺に近場から近場でしょ。

そうですね、1つは手狭になったっていうのも、もちろんあるんですけど、場を持ちたいっていうのが。

思い出した。駄菓子屋をやるか、ガンプラ屋をやるか笑
言ってたもんほら、あなたがなんかぴゅんってメール来て、『西宮の夙川の近くにガンプラ屋あるでしょ。』って聞いたことねえよと

あれ、めっちゃいいっすね。って笑

初耳だわ。どこでみつけたん笑
あんなところにガンプラ屋があんの?と思って。
それやりたいと?

わかんないですけどね、ガンプラ屋なのかなんかね、駄菓子屋なのか、ま、それもいわゆる駄菓子屋みたいなんじゃないとは思うんですけど、

場所にそういう機能が駄菓子なのか、ガンプラ屋なのかがあったらいいなぐらい

そこはちょっと未知数すぎますけどね。何かしらその場があって、そこでやっぱもしかしたらノート売ってるかもしれないし、

ノートは売らなきゃいけない。

そうそうそう。
割とそっちより

事業として売らなきゃいけない。

見てくれはそっちメインなんですけど、なぜか、ガンプラかゲームが多いっていう

おかしくないって。
このでノートのデザインとガンダムのザクが持ってんの。

はあっていう話でしょ。

どういうこと?ってなる

なるんですけど、繋げた世界を見てみたいんですよね

ゲームとガンダムもスタイリッシュなものもあるけど、まいわゆるこうこてっとしてるものだが、自分が媒介して1つの世界にあると、どう見えるのかをちょっとやってみたいと。
いいね。

そこって切り離されて、鼻で笑われてた世界なんですよ。娯楽とかもそうなんすけど、それがね、非常に 腹立たし、ムカつくんです。

抗ってる。パンクスだもんね。

そういうとこにもちょっとやっぱり抗いたいんですよ。

明日からやることをはまず抗いたい

抗いたい。
生きること自体やっぱ抗ってる行為じゃないですか。
ちょっとまた話戻りますけど、もう2年で 癌になって、2年で抗がん剤が一応終わるんすよ。多分明日でラストになるかな。ずっとやってたんですけど

よかった。
やってたんだなっていう感じ。一時期はそうだなと思ったけど、ある時期からそうじゃないのかなと思ったが。

ずっとやってました

10月の終わりですか。2022年。

まる2年。抗がん剤の期間としてはかなり長い方なんですけど、

でもしんどいでしょうね。

まあ、ないことはないですね。
そうですね。ま、軽い方ではあるんすけどね。
ちょっとこれからって意味ではその辺のことも終わり、健康に戻っていくんじゃないかなというのもあるので

明日からはそういう生活。
明日から抗がん剤がない生活。

いや、明日でラスト1回最後ですね。って感じ

重要な日です。明日は

そうですね。ちょっと先生と話して、今後どうするのかみたいな

気軽に聞いたら結構重要な日だった

そうっすね。長いんで割と落ち着いてはいるんですけどね。テンション的にも

というわけで、エンディングということになりまして、いかがでしたか。この10年、まあ、なんか気づきはいっぱいあったなと。

そうですね、なんかストーリーになっちゃってますよね。10年ごとに何かって

それはおっきいね、気づかなかった。前田さんと付き合って、9年とかそんな感じですけど、そういう気付きなかったっすもん。だって10年経ってないから。
そういう気づきを得られただけでも、私はあ!って、うん、なるほどなっていう

まピックアップするのはそういうことがあったかなっていうと

あとは抗い。パンクスとしてね。
前田さん根っからのパンクスだもんね。
言わないし出さないだけで。

畜生みたいな感じではいきてますね。

出さないんだよなー。

出さない。

たまに私のメッセンジャーに、あのフレッシュなメタルバンドみたいな、
なんでだよ、それを出していけよって、僕のブランディングがとか言っちゃって。そういう精神が皆さんはあまり知らないけども。ふつふつと 昔からあって、それのおかげで、やっぱり何かのタイミングで違和感をどう払拭しようかと思った時に、風が吹いてそうでここに行きましょうあそこに行きましょうとか、

なんかピースがはまってるくるんでしょうね、

なるほどね、やっぱパンクスだね。

やっぱ自分が好きなもんがやっぱ根っこにあるんじゃないですか

それもわかってよかったなと思います。

大人になって調整して、ピースがはめられていくと

次の10年後にまたラジオとった時にどういう風が吹いたのか

生きてればな

馬鹿野郎だよ、お前言うんじゃねえよ、なんでそういうこと言うんだよ、
決め台詞みたいに今後使うんでしょ。
なんか取材受けた時にじゃ俺が生きている。やめろよ、そういう厨二病みたいな、台詞やめろよ。

生きとる、生きとる

生きとるだろ

ということで、今回の101010RADIOはデザイナーの前田健治さんでした。ありがとうございます。

ありがとうございました。

PROFILE
前田健治

1984年生まれ。ZOOM DESIGN退職後、2012年にmémを設立。コンセプトワークからブランディング・グラフィックデザイン・ デジタル分野まで、さまざまな領域でのデザインを手がける。

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