101010トトトRADIO

誰かの10年を聴く101010 RADIO。さまざまな職業の方々の10年間で起きた3つのことを紐解いて、その人を深掘りしていく番組です。どのようなストーリーが紡がれているのでしょうか?ぜひ聴いてみてください。作業の合間にも。listen 10 me

ovaqe と、小豆島 と、ぬえ と、

誰かの10年を聴く101010 RADIO(トトトラジオ)。
ゲストは、株式会社 ぬえ松倉早星 さん。
プランナーというお仕事をしている松倉さんは、独立して10年。
その10年の中で、ターニングポイントとなっていたキーワードは 「ovaqeと、小豆島と、ぬえと、」
どのようなストーリーが紡がれているのでしょうか? ぜひ聴いてみてください。

松倉早星 profile
1983年 北海道富良野生まれ。立命館大学産業社会学部卒業。 東京・京都の制作プロダクションを経て、2011年末ovaqe inc.を設立。2017年7月より、 プランニング、リサーチ、クリエイティブに特化したNue inc設立。代表取締役社長。 リサーチ&プランニング、コンセプトデザイン、コピーライティング、戦略設計、商品開発、施設開発、公演開発など、興味があればなんでも作るスタンス。



CREDIT
OPテーマ制作/加納エミリ
編集/石本和也

読んで楽しみたい方はこちらをどうぞ↓

今回のゲストは、プランナーの松倉早星(まつくら すばる)さん。よろしくお願いいたします。

お願いします。

ということで、松倉さんは 何をしてる人ですか?

プランナーやね。

アイデアを考えたり、企画したり。説明がむずかしい職業。

コピーも書くし、場合によってもデザインをするし。ただ、デザインは流石にもうしなくなったな。(新卒で仕事を始めて)最初の頃は、デザインで食っていたよ。

キャリアの初期はデザインをしてたんや。

会社では、ディレクターでそのままプランナーって肩書きに変えられたけど、副業ではずっとデザインで 給料足んなかったからさ、飲みにいったりとかして。

東京時代でちょっとさっき事前に聞いた額はきついね、

正直きつい。笑。家賃も高いしさ、食ってらんねえし、飲みにも行けないし。ただ飲みに行く余裕があるほど、平和じゃなかったな。ずっと働いてたから。で、副業でデザインしていたね。

副業でデザインやってたんや。イラレとか使えていたんだ。

イラレとかフォトショとか。大学の時からデザインをやっていたからね。

で、大学時代に物販が売れるバンドをやっていたよね。

後半、食えていたね。

物販で何を売っていたの?

 ROM売ったり、タオル売ったり、Tシャツ売ったり、ステッカー売ったりね。

いいね!今、ちょっとそういうことやりたいもんね。

いま。やりたい笑

客商売みたいなを、ちょっとね。やっぱこれから、われわれは40歳を迎えて、色々シフトしていく中で言うと、そういうこともしていきたいよね。

そうだね、そういうのやんなきゃダメだよねー。

あ、でもね、101010を立ち上げたのは、まさにそういうことやりたいと思ってたんでね。まずは、ちょっと早星さんと2人でツアーに出よう!

グッズ売ろう。

グッズを売るだけのトークイベントとかして、特になんちゃないトークイベントだけど、とにかくグッズの質が高いっていうね。これやろう。

ビール用のコップ売ろう。

いいじゃん。

名言書いたの。

あ、いいね、それ101010で売るわ。

では、それでは本題に入りまして。まずはこちらということで、10年間に起きた3つのこと。

ovaqeと、小豆島と、ぬえと。

oveqe(おばけ)、小豆島、ぬえ。
すごいね。
怖いね、なんかこれだけ並べると。笑

そうだね。笑
副業した時、当時会社が副業NGだったから、 自分の名前じゃなくてoveqeって名前で仕事をしてて。
で、会社作る時、そのままoveqeでいいんじゃないってなって、そのまま会社の社名になった。

あー、そういう経緯!

そう、「オバケのQ太郎」のqをもらって、oveqe。そういうスタートだった。ほんと10年前だね。
まだワントゥーテンに勤めていた時、副業で初期から関わったアンテルームも10歳を迎えたね。
立ち上げ後、結構そういう相談も増えちゃって、oveqeもしながらワンテンで働きながらはきついなと。

そりゃ、そうだよね。

本業の方でもAKB48を使って、存在しないアイドルっていうもの作って(※グリコ「アイスの実」の江口愛実のこと)。

有名なやつね。
それ知ってるわ。それだ、ちょうどぼくがモノリスに勤めていた時代で。
担当が付き合いのある代理店の方だったな、と。

その仕事で、広告をやりきった感じもあったね。デジタル広告で遊べる最後の仕事を今やってるんだって感覚がめっちゃあって。

なるほど。

で、アンテルームが完成した時期と、ちょうどかぶっていてワンテンの社長にそろそろ独立しようかなと思ったら、社長もそう思っていたらしくて。
デジタルじゃないことも含めて、プランナーとして試合数を増やした方が、早星は絶対に面白くなるって言ってくれて。珍しいよね、そんな社長。だから、いまだに大好き。
結局、そこで一緒に出て創業を一緒にした薩川っていうのがいて、そいつと2人で創業。最初は共同代表でやっていた。薩川は経営したかったって言ってくれてたし、俺も経営したくなかったし、薩川に全部おまかせして。で 、途中でチャッキーこと、綿村健(ワタムラタケシさん)がアートディレクターとして入って。唯一の社員だけど。笑
で、最後まで3人でやった。

アンテルームを通して、こういう仕事をこんな感じでやるって「トリセツ」を配って、あ、すごい人がいるもんだなって。そこから知ったけど、当時、twitterか何かで、『半年分稼いだから、もう俺は半年遊ぶ』みたいことを言っていたよね。

面白そうな相談が来るから、結局働いちゃうんだよね。
サラリーマンをしててもらうお金と、自分たちで会社やって作れるお金がもう全然違くてびっくりしたのよ。あれ、これマジで余裕で行けんじゃん!みたいな。
ま、結局そのまんまずっと作り続ける5年間やったけど楽しかった。

ovaqe時代はどうでした?
まだ20代?

20代後半だね。
うちの娘が生まれた時に創業してるから。
最初の方はデジタル関連の仕事が8割だったんだよ。
5年の間でほぼ反転したというか。どんどん規模とスケールが大きくなっていったね。
今やっているぬえと圧倒的に違うのが、ovaqeは3人いるんだけど、それぞれが1つの会社みたいなやり方で。基本1人なのよ。

そのイメージが強かった。

で、まぁまぁみんなパワフルだから、むっちゃ稼ぐみたいな感じだったけど。
みんな死にかけてたね。ヒーヒー言いながら仕事をしていた。
帰れないから銭湯グッズをovaqeに置いてて、すぐそばに銭湯があったから、ちょっと 今日も帰れねえから銭湯行こうつってリフレッシュして、もうちょい頑張るみたいな。

すごいね、じゃバカスカ働いていたんだ。

働けた年齢だね。20代後半、30代前半ぐらいは。

なるほど、当時はポジションとしてはプランナーで。その薩川さんって方は?

俺以外全員デジタル案件をやっていて。薩川は主にPM(プロジェクトマネージャー)だったり、プロデューサー的な才能があるやつで。何千ページある大型サイトをミスなくやっていく、俺の逆みたいな能力がある人。
今はそのままovaqeを引き継いで、社名を変えて名古屋でやっているよ。
今はあまり交流がないね。仕事のパートナーとして最高だったけど、プライベートでは一緒に遊ぶってことがなくて、漫才師みたいな感じじゃないかな。
チャッキーとは飲んだり、遊んだりしていたよ。
ただ俺の方では変なフェスを作るとか、 デジタルからぐんぐん自分が離れていった感じはあるかな。

ovaqeイメージで言うと、早星イメージが強かった。

会社の数字自体はめっちゃ作っていて、みんな同じぐらい作っていたね。

自分の中で見たことあるなと思ったのよ。それがマンガの「左ききのエレン」。

あれに出てくる。あの、アントレースってクリエイティブブティックがあって。

全然知らんわ。

あ、でもovaqeみたいな。
3人のコアメンバーがオリジナルメンバーで、プロデューサーとアートディレクタと変態的なエンジニア。そこら辺が似ているな、と。

ただ、何かを3人で一緒に作るって、1回もなかった。完全に個人商店の集まり。

それは願望として、チームでやるっていうのはなかった?

ビジネスを学んでいる時期でもあったから、3人が同時に動くことでの損失がでかいなっていう。 利益とか、人件費とか考えると。
あとは、あまりにおたがいの仕事の領域が違いすぎた。
それぞれ受注してくるから、そいつにしかできない仕事が固まっていく。
だから採用が一切できなかった。
採用イベントをやると、100人ぐらいエントリーがくるけど、これ全員に会って自分たちの会社にあう人を見つけるのって、それ死ぬじゃんみたいな感じになっちゃって。
誰も取れないまんまだったね、結局。
それは結構学んだ。

なるほど、それがのちのぬえに引き継がれていくんだ。
ovaqeは本当に個人商店が軒を連ねていた感じで集まっていたんだね。

それぞれが3つの法人に分かれてやっているけど、ovaqeはその練習の打席というか、 自分たちの色を明確にする時期でもあったかもね。いやぁ、懐かしいですね。

小豆島と、

ovaqe立ち上げて、2、3年後ぐらいに瀬戸内国際芸術祭の(小豆島でプロジェクトを行う)招待作家というか、クリエイター枠があって。ovaqeに声をかけてもらって、滞在した。これが1番でかいかもな、俺の中で。

ovaqeで入ったんや。「松倉早星さんにお願いします」じゃないんだ。

「ovaqeと愉快な仲間たち」みたいな感じ。エンジニアやインターンの女の子連れていったりとかして。4人チームで乗り込むんだけど、半月ぐらい小豆島で滞在しながら制作するっていう。やっぱそれが1番でかかったね。(当時)俺の中でやっぱ調子乗ってんのよ、もう20代にしてほとんどの賞を取っていたし。

だってさ、ちょっと振り返ってほしいけど、ovaqe含めて人生でうまくいかなかったことないでしょ。笑

そうだねー。笑

あ、そうだねって言ったよ。笑

出すアイデア、全部面白いって言われてさ。

中学校の頃から順風満帆みたいな生活していたわけじゃない。

受験してないし、そもそもさ芸大出身でもないのにこの業界にいるしさ。

友だちが勝手に就職活動してくれていたとか。

そうそうエントリーしてくれて。

そんなアイドルのようなことがあるんだと思ったもん。

「早星に合うの、こういう会社じゃない?」みたいな感じでね。

就職活動0で。うまく生き続けて、小豆島で何かを感じるんだ。

知らず知らずのうちに調子乗っているんだよね、当時。

調子乗るじゃん、そんなの。

何でも当たって、うまくいくと思っていたけど、島は全く別の国みたいな感じで。
「お前、何できんねん」みたいなことを言われて、 いや、俺なんもできねえなって思ったよね。「お前何者なの?」みたいなことを聞かれた時に、「俺、何者」なんだろうなみたいなって考えた。
そこをきっかけに、作るものも変わったかも。
より派手なものや目立つものみたいな発想が強かったんだけど、そっからもうちょっと人間的なものを作る方向にシフトできたかな。

小豆島では、どういう方と話をしたの?

そこに住んでいる漁師、おばちゃんとか。港町に滞在していたんだけど、なんだろう、あ、この人に自分の説明ができないなと思ったの。
「松倉早星です。職業プランナーです。」って言っても「プランナーって何?」みたいな話になるでしょ。そして、その技術は別にそこでは必要とされてないし。
その時に、ハッ!ってなって(何かを悟って気づいたら)、気のいい酒が飲める兄ちゃんぐらいからスタートしていた。

なるほど。今のスタンスだね。
その言葉を受け取った時って、落ち込んだりとかしたの?

なんか結構ハッとしたね。落ち込むことはなかった。なんか勝手に調子乗ってるだけだから。いま気づけて、よかったみたいな感じはあったね。

ハッとしてでも、そこからよく切り替えられたね。

そうだね。でもその人たちにも通用するようなクリエイティブじゃなきゃ意味がないなというのは、めっちゃ痛感した。
広告を作っていてもね、おかん おとんが分からなかったら意味ないって頭では分かっていたのに。
気づけば、自分たちが満足するような作り方をしてたかもなって反省はあったかな。

いや、すごい。その1回の問いかけだけで、そこまで。

プランナーだからね。笑
1から10を引き出すよ。

101010のビールのコップに刻む言葉は「プランナーだから」にしよう。笑
そうか。そこから見つめ直して。ちょうどovaqeという会社を立ち上げて2、3年くらい?

そうだね。
それをきっかけにチームでできるクリエーションに移行してみたいっていうのがあって。あとクライアントとの関係性の話で、案件ごとに終わりではなく、1年間一緒に走るみたいなもっと長く関われる業態にしてみたいって思いはじめた時期でもあったね。
だから、ovaqeを立ち上げたのも俺、ちょっと目立っていたのも俺だから、俺が最初に辞めたら面白いかもねつってやめたら、業界がざわついた。
喧嘩したんじゃねぇかって、みんな言ってたけど。

バンドでありそうなやつ。

そうそう。
3人がめっちゃ稼げたし、超楽しかったけど、もうなんか限界が見えるんだよね。
3人でできることの。
そこにみんなうっすら気づいていたんじゃないかな。

ぬえと、

ぬえの立ち上げは、5年前だね。

もう5年か。

1人に戻ったからさ。家の4畳半ぐらいのところで仕事をやっていて。

家でやっていたんだ。

そう。それで、うわ、めっちゃ稼げるなって。

登記は家の住所にしていた?

うん、家。今も家。
たまにお客さんが間違って、俺ん家に行くのよ。笑
家で1年やっていたけど、実はovaqeでも1人でやっていたという時期はなくて。
だから完全に1人で1年やった時は、孤独すぎて家の猫に話しかけながら仕事とかして。
これ、やべぇ、さみしさを感じていると思って。笑

猫にしゃべりかけ出している。笑

1人だからさ、思ったらすぐ行動できるから。
よし、採用しよう!みたいな感じで急に採用を始めたのね。
で、めっちゃいい人に出会えたなと思ったけど、いや、俺、自分の家で働いてるって気づいて。
家に呼ぶわけにはいかないなって。

家は呼べないね。笑

で、友だちに相談したら、あのRATっていうリサーチチームが一角空いてるから使っていいよつって。
京都の木屋町なんやけど、めっちゃ格安で貸してくれて。
で、そこでやっとメンバーが働ける環境を作れた。それが、2年目入ってから。

そこぐらいから田中が、ね。一緒に仕事をやる。

あ、そうだ。そうだ。

木屋町の、探偵事務所みたいなとこ。

そうそう、めっちゃ階段が急なのよ。

で、2年目がスタートしているけど、ぬえを立ち上げて今までと何が違うとか、何に重きをおいたの?

チームプレイというか、チームでのクリエーションだね。
どんどん40歳の壁が見えてくるわけじゃん。俺らってもうすぐじゃん。
5年前から言っていたから、それがちょっと見えてんのよ。

後半戦スタートって感じ。

もう数年後じゃんみたいな。
そん時に俺、まだ自分の名前を引っ張って働くのか?って。
もうそれ今までやってきたし、 ちょっと違うチャレンジしないと、多分絶対人生ひまになると思った。
ぬえになって意識しているのは、最初は関わっても徐々に引いていこうと。
松倉早星というより、「ぬえだからお願いしたい」で声がかかることも増えている。ま、そこを目指していたので良かった。

ovaqe、小豆島を経て、松倉早星の出し方であったり、チームで仕事をやったり。
その体制というかカルチャーみたいなものが、今のぬえにはあるんだね。

それはメインだね。うちの武器。

たぶんほとんどの人は、ぬえの仕事はワークス(実績)でしか見れないから、プロセスや余白の部分って、なかなか受け取ってもらいにくいかもだけど。
ぬえの仕事だと、POTELこんこん崇仁新町などをやっていて。
なんとなく「まちのプロデュースをしている会社」という認識を持たれているかも。
まちのプロデュースにしても、例えば高浜のUMIKARAのプロジェクトでやっていたことは、ぬえをどう出さないかに力を入れていたな、と。

そうだね。

ovaqeとはスタンスが真逆。

ね、そこが明確に違うね。

だって、(当事者が主役であるために)クリエイティブはなくてもいいとか、荒くてもいいって言っていたから。

小豆島に行って気づかされる前の俺だったら、地方に行って、なんか新しいことをやらかして戻ってくるみたいな感じになっていたと思う。
その発想じゃなくしてくれたのは大きい。
だから、ぬえのスタンスは、ほとんどそうなの。まちや案件の主役が誰かっての明確に考えている。

そういうことを、考えてくれてるのはうれしいって思った。

今までクリエイティブ業界で仕事をしてきた中で、アンサー的なチームが作りたいなってのはあるかな。

クリエイティブ業界っぽい人はいないもんね。いい人しか来てない。

「ただの人」っていうところを大事にしているよ。

やっぱり、ぬえの資産は人だね。
社員のイソさん(五十川 亜矢さん)もね、女親方というか。頼りになるし。
で、阪田くん(阪田 晋平さん)。彼が、ぬえのシンボルだと思う。

最終的に、大学卒業できませんでしたって。めちゃくちゃ笑ったな。

大学卒業できないんで、早めにぬえに入社できるのは、阪田くんは持っていると思った。

なんだかんだ一緒に働いてる時間が長いのって阪田だから。

彼はどこに行っても「あの人はすごいですね」って言われるもん。
気づかいの天才。

すごいよね。今、貫禄も出てきたし。

彼はすごい。

ぬえに入社した時は、28歳とか。
落ち着いてるから、できる人なんだと思われていたけど、中堅だと思われて、発注を受けるみたいな。
「できる?」って聞かれて、「できる」とって言って帰ってくる。

あとは、お母さんみたいな西さん(西 怜香さん)。

ぬえの唯一の「良心」やなー。

西さんがいないとね、変なところに行っちゃう時にブレーキを踏めなくなるから。

ちゃんとした方がいい時とかね。
西さん、ぬえに欲しかったんだよね。
前に仕事を手伝ってもらっていて、すげぇいいなって。
でも、東京で子どもを育ててるから。
いや、こっち来るの無理だろうなと思ったら、見事に釣り上げれることができた。

西さんのことはちょっと知っていて、この人がぬえに入るんだって、ちょっと衝撃だった。ただ、京都の人じゃないけど、どうするんだろう?って。

来たな。家族で京都に来た。

すごいな。

やっぱ1番おもろかったんは、みどりちゃんやな。吉田さん。

みどりちゃんって言うから、女性かと思ったけど。男性だね。

そう、宇宙人みたいな男性。俺と西さんとみどりちゃんが同級生だよね。
若手を取ろうと思っていたのに、なんか知らんけど同級生2人取っちゃって平均年齢ぐって上がったよね。
ただ、みどりちゃん面白かったんだよね。
ぬえのエントリーシートって変だからさ。
*ぬえのエントリーシート

「みどりちゃん」でエントリーしたの?

うちらが勝手にみどりちゃんってあだ名をつけていたの。
エントリーの内容がすごく秀逸で、めっちゃ優秀で、イベント会社でめっちゃがんばっているみどりちゃん像を作っていた。
で、面接の時に入ってきた時に、みどりちゃん、男やんけって。笑

入ってきた瞬間に。

大爆笑。即採用。

彼は本人も言ってるけど、裏にいる人という役割。

それが、自分のポジショニングだって。
その仕事はうちに欲しかったっていう感じだったし。

ぬえにいなかったけど、ぬえにいないと困る人。
何かの制度を調べるとか。

そう、絶対こぼれ落ちるものを拾ってくれるの。ありがたいよね。

最近入社したメンバーといえば、キタさん(北山 リナさん)。

プランニングの才能があるんだよね。

いや、楽しく仕事をしてくれそうな気がするのと、ぬえにはないキラキラ感があった。

淀んでない。笑

メンバー全員が淀んでいる中、1人まぶしいぜって感じ。笑
なんかいいチームだよね。
ぬえという集大成というか、アンサーになるチームができあがったんだね。
あと、もう1つ聞きたいこととして、10年前と今で大きな違いは?

10年前と大きな違い

大きな違いは、経営していること。
お金が何なのかがやっと把握できた。
全部じゃないけど、 お金という生き物が理解できたな。
特にぬえでよく学んだ。
ovaqeは薩川にまかせていたから。
いや、これ大事だなと思って向き合った。
薩川がいかに大変だったか、よくわかる。今改めて。

なんで、あいつはあんなこと言ってたのかって、ようやく今わかるんだね。

細かいことを言っていたなと思うけど、これ大事だわ。
「ごめんね、うん、ごめんよ」と思ったの。
金は生き物だってよく言うけど、それがほんとよく分かった。
ぬえ1年目の時に、1人でバカほど稼いでめっちゃ残るわけじゃん。
でも、残ってしておくと法人税で持ってかれるし。
納めるべきものは納めるけれども、だったらこの人に使えば、うちがもっと良くなる方法があったのにって。
これがお金が腐るってことかって、身をもって学ぶわけよ。
で、孤独だったし、速攻採用した。
一緒に働いてる人とできるだけ長い時間働く方が、その人の可能性をもっとピックアップできたり、俺ができないことができるようになるんじゃないかなって。
俺、お金の使い方を間違ってたなって。

1年目で気づいたんや、すごいな。

今、受託仕事をメインでやっているけど、お金をどう活かすのかを考えている。
で、社員に還元したり、設備投資したりして、 それが次のクリエーションを作ってく基盤になるはずだから。
ある意味、クリエイティブの一遍だなっていう気がするんだよ。
そういった意味で本当に学んだな、この5年。うん。

これからのこと

億万長者の挑戦」って、ディスカバリーチャンネルがやっているYou tubeの番組を見て欲しいんだけど。
今までビジネスで成功した経験を違う分野で活かすというもので。めっちゃ面白くて。
崇仁新町を一緒にやった小久保(小久保寧さん)とその話をよくしていて。
要は立ち上げ屋だから、俺ら。
ビジネスを立ち上げるってことを、もうちょっとやんないと、ダセえ年齢になってきてるなと。

立ち上げる時、どこがポイントやと思いますか?

俺らが学んでるロジックをそのままぶつけてみて、成功するかは分かんないけど、 ひとまず、ぬえの軸に寄り添ってみる。
その上で、例えばもう1個事業を立ち上げて、安全圏を広げていくことはするだろうね。
スイミーのように隣接し合う事業体を作って、万が一どっかの事業がぶっ潰れても、そこで働いてる人は他の事業で吸収するみたいな。
セーフティネットを作るってのをやってみたい。
それは、ずっとやりたいなと思っている。

思い出した、思い出した。あれ、なんだっけ。あれほら、三角形のやつ。

バックミンスター・フラーのフラードーム。

言っていたね、そういえば。三角形、つまり1人が3つの事業を担当するようなモデル。

実際、むずいのよ、それ。
今はぬえの事業にほぼ全ベットしてるけど、もう1個やっている空狐とか、社長同士でやってるから、お互いメインの事業があるのね。
そうなると、なんかおまけみたくなっちゃうんだよね。
完全にぬえの事業を誰かに預けた状態で、次の事業立ち上げをやんないと、本当に事業として立ち上げるのは難しいなって。

われわれは今39歳で、もう本当に40歳の壁が目の前まで来ちゃって。
そして独立して10年経ちました、と。
で、40歳からは今までやってきたことを活かして事業をやるイメージ?

どっか行くわ、俺。たぶん。

どういうこと?

もう京都いいやって。笑

あれ、拠点じゃなくなる?

拠点とは?って感じやな。
いろんな地方案件をやっていると、「自分のまちが大好き」みたいなことをみんな言っていて。
うわぁすげえ、俺に1ミリもねぇやと思った。
アンテルームをやったUDSって親会社の当時社長だった人が、今は会社辞めて九州の方に1人で行って盛り上げてんだよね。
まじで1人からスタートして、今まで自分が得た経験を町で実践していて、盛り上がりができてるの。
これって、まじで意味があるなと思って。
で、日本ってどんどん限界集落が増えるでしょ。
京都なんてイージーモードよ。
あほほど観光客来るしさ、150万人ぐらいの都市でもあるし、。
ここで何かやるって失敗する方が難しいと思うわって。
だからこそ、むしろもっとハードモードなところでやりたい。
誰もノールックなまちに俺がそこに行って。
私はこのまちとかぼくはこのまちとか、ぬえのメンバーもバラバラになっても面白いと思うけど、 それでもできるくらい仕事もあるし、できるチームだから。
そうなると、何より固定費が安いよね。
もう全部支社にして、そこに住んで、家賃は俺が払うわみたいなことが可能だと思う。

今までやってきたことを活かして、知らないまちに行って、ぶつけてみるっていうのをやっていくということ?

そうだね。
ただ登記してる場所にしか法人税を落とせないから。
分散した時、分散したように落とせたらいいんだけど。

そうなると、会社を1社1社作るしかないね。

それしかない。バリだるい。

それを誰か、みどりちゃんにやってもらうしかないね。
みどりちゃんやってくれるよ、きっと。

地方法人税で、まちにお金が入るみたいなことができたら面白いよな。

新しい地域の貢献や関わり方だね。

しかも、ぬえが得意とするのは、誰かと誰かをつないでことを起こすことだから、媒介になれるはずなんだよね。
どこの村なのか、町なのかわかんないけど、ぽんと落とすことで起こす反応っていうのは、めっちゃあるんじゃないかなって気がするな。

今のぬえチームを見たら、ほぼいけるね。

ほぼいける。

メンバーが望むかどうか分かんないけど、いける気がするね。

そういう実験をしてみたいね。
俺らこの時代に、なぜかまた法人つくって。
先輩たちがやっている方法を見ながら、うまくいかないとこも見て、ほぼ逆張りのような経営方法でやってるけど、ここまで誰もまだやってない方法でやってみたい。
あと雇用はつくりたい。
ぬえをばらして、それぞれ法人を立ち上げて、その地域の人を雇用するとかね。

それはいいよね。

できたらいいよ。
うん、3人ぐらいだったら。
ちっちゃな村でも余裕でマネタイズできるし、還元できるはずなんだよね。

それこそね、地域おこし協力隊がミッションとしてやらなければならないことは、その地域に根を張るために、何か仕事を見つけなさいということで。

そもそも仕事がないところに、その席を取りに行くのって大変だから。
それなら新たな仕事を作る前提のやり方がいいと思うね。
全然デザインしていないけど、もうたぶんその時点でクリエイティブなの。

それでいいんじゃないと思うよね。

とはいえ、クリエイティブしている感覚ねぇしな。

ないの?
クリエイティブな仕事を今でも個人でやってたりするわけじゃない?
コンペに出すものとか。
その時の頭の切り替えとか、どうしてるんだろうと思って。

一緒よな。
業界的にクリエイティブと言われているだろうけど、新聞紙に鉛筆で書いてるような感じで、こんなアイデアいいなって、子どもの落書きみたいなやつをきれいに仕立ててくれてる人がいるだけで。
パズルをやったりなぞなぞを解いてるとか、そんな感じなんで、ずっと。

究極、謎を解きたい願望あるよね。

考え続けたいし、解き続けたいね、
ひまが1番ストレスなんだよね。

趣味は?

散歩。考えながらずっと歩いている。

https://note.com/sbr/n/n635d4c274313

あと酒ね、それと猫と戯れる。おじいちゃんだわ。笑

楽しいよ。

でもそこなんよね、考えることが1番のひまつぶし。

考える時は歩く速度が1番いいね。
てくてく歩いて、月平均250km歩く。
明日もたぶん歩いて京都のすみっこにある銭湯を目指すと思う。

なんか、そんな遊びしていなかったっけ。

前は子どもとやってたんだけど。
今、子どもがでかくなったから、おじさん1人の遊びに。
子どもは中1と小5で、週末は完全に友達と遊んでいるね。

改めての10年

振り返った時に、改めてどうだったかなって、この10年。

よかった、うん。
新卒から30歳ぐらいまではガムシャラに働いて学んでいたけど、その間で得た筋力でやり続けてきた。
30代に入って、この10年は筋力っていうより瞬発力と経験値だよね。
それを全部試していってる感覚がある。
新たに勉強してることもあって。
経営のこともあるけど、 それがなんか楽しいな。

なるほど。

だから、まぁいい10年だったね。

20代はやっぱ筋トレなんやね。

筋トレだね。
今の時代に言ったら、怒られそうだけど、もうほぼ徹夜とかさ。
全然帰らないのが当たり前な時代だったけど、俺はあれであれは良かった。
みんなが寝ている間に、今のうち強くなるぜって感じ。

人に隠れてレベルアップしとこうみたいな。
で、30代は瞬発力。

瞬発力だったね。
完全に徹夜もできなくなっているし。
で気づくのよ、徹夜は意味なかったな、と。

気づきとしてね。無駄だった。

30代には無駄だなっていう感じだね。
俺らの場合、プランニングという仕事だから、この揺るがない真実を見つけ出す作業とか、世界の見方とか視力とかが重要。

うん、うん、なるほどね。

思考力は常に鍛えてるし、常に使ってるような感覚はある。

明らかに20代と30代は違う?

違う。特に使っている部分が違う気はする。
40代はまだ分かんない。

まだ40代じゃないからね。

どうなるんだろうね。

30代の戦い方ではないよね。

ないね。
また変わると思う。
また0からやり直しみたいな。
その時には、業界入っても20年ぐらいになるなぁ。

なるね。
あと厄年ってやつにもなるわ。

ある意味、折り返し地点で。
そこでリセットするケースもあるかもね。
もう完全に全く違うことを0からやるみたいな。
でもひまになるよ、たぶん。
もうこの業界にずっといるじゃん。俺ら。
でさ、ぶっちゃけ、たぶん若い世代の感性の方が いいじゃんってなるケースがある。
おじさんがどうのこうの言ってもなって。
そうなってきたら、全く違う戦い方をして殴り込むという方法もあるんじゃねぇかなって気がする。

そうなるだろうね。

アイデアとかさ、言葉を紡ぐみたいなことでいくと、年齢関係ないなって思う。
谷川俊太郎さんとかいるわけじゃん。

まだまだ現役。

糸井重里さんとかさ。
あぁいう言葉の人とかは古くならないというか。
やっぱデザインとか、その目に見えるものってすごい難しいな。
その次のトレンドがあったりすると思うけど、言葉は揺るがねぇなって気がするね。

それは希望だね。

そうだね。まだ唯一、俺らに共通してんのが言葉でなんとかするっていうね。

トレンドがあんまり関係ない。
普遍的なこととか、命とか、人生とか、人類が等しくあるやつとか。
最後は、地球規模のことだね。
そのために、われわれがツアーに出て、言葉をしたためたビールジョッキとか売っていこう。

道端でいいこと書くやつみたいになっている。笑

梅田で歩いてて、早星さんがやっていたらびっくりする。
ボロボロの格好して、どうした早星って。笑

落ちたなって言われるな。笑

落ちてねえよ、年収3000万だわみたいな。笑
めっちゃ稼いでるやん路上詩人。
ビビるなぁ、そうなっていたら。笑
ということで、われわれはこれから40歳を迎えるのですが。
楽しかった10年、これからの10年も楽しんでいこうということで。

そうね、10年楽しかったです。

今回のゲストはプランナーの松倉早星さんでした。ありがとうございます。

ぬえのメンバーがでてるラジオはこちら
PROFILE
松倉早星

1983年 北海道富良野生まれ。立命館大学産業社会学部卒業。 東京・京都の制作プロダクションを経て、2011年末ovaqe inc.を設立。2017年7月より、 プランニング、リサーチ、クリエイティブに特化したNue inc設立。代表取締役社長。 リサーチ&プランニング、コンセプトデザイン、コピーライティング、戦略設計、商品開発、施設開発、公演開発など、興味があればなんでも作るスタンス。

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